2015.1.13 (tue)
2回表:旅の始まり
To the faraway faces and friends
Of the people an' the places I've been
I'll singing you a song
But I won't keep you long
For the tambourines playin'
The carnival's callin' me on...
40年近く生きてきて、これほど目まぐるしく過ぎた年は無かっただろう。
本当にいろいろあった。いい事も悪い事も。
2014年の夏、ロジャー・ティリソンの墓参りに行ったことは僕の人生の中で、本当に重要な出来事だった。一昨年の暮れだった。ロジャーの訃報を聞いた僕はその場で泣き崩れた。
走馬灯の様に、ロジャーとのジャパン・ツアーの思い出や、今までろくに手紙も出せず、まして会えなかった自分に心底腹が立ったり、いろんな思いが交錯し泣き崩れた。11年前ロジャーが来日したとき、彼は既に60歳を過ぎていた。72歳でこの世を去ったロジャーは立派に天寿を全うしたと思う。
だが僕はロジャーが亡くなったことをしばらく受け入れられずにいた。僕の中でロジャーとの再会は普遍的でごく当たり前な事のように、いつか必ず会えると思い込んでいた。
それが甘かった。小学生でもわかる事、人間には時間が限られている。そんなことも頭では理解してるつもりだったが、泡のような日々に流され、とうとう彼に会えなかった。悔しいより自分が情けなかった。
そんな後悔の念を抱きつつ、ロジャーとの再会は叶わないが、彼と出会ったことを人生の糧に生きようと、彼の墓前でその気持ちを伝えたいという思いが日に日に強くなり、去年の3月に僕はタルサ行きを決心した。
だが墓の所在が全くつかめずに右往左往した挙句、あっと言う間に1ヵ月が過ぎてしまった。墓の所在がわからないままタルサ行きも考えたのだが、周囲の人たちに絶対無理だと念を押されてしまう。
タルサ行きを半分以上諦めていた頃、最後の頼みの綱とcitymusic・柳本君に相談し、ニューヨーク在住の音楽ライターであるケイ・コーツ氏と奇跡的に連絡が取れ、墓の所在がわかったのは5月初旬だっただろうか。
急転直下、タルサ行きの光が見え始めた。2人の尽力により墓の所在もわかり、ロジャーの奥さんであるジャッキーにも連絡が取れ、ある程度の旅の準備が出来た6月中頃、僕はタルサ行きを躊躇っていた。ついこないだまでタルサ行きを切望していたのにもかかわらず…。そんななか、ふと訪れたBARペヨーテでマスターの芳樹くんに僕の今の心情を吐露した。
「芳樹くん、俺、タルサ行くの迷ってんねや。あとは俺が行くだけなんやけど、どうも納得でけへん。前から俺タルサ行ってロジャーに会う言うて豪語してたやん。結局亡くなったあとで行って、会えなかった後悔が増すんやないか思って。なんかほんまに悔しい。なによりロジャーに会えないのが…過去の俺も腹立たしい。会いに行く言うて全くそうしなかった。手紙も出せず…俺のことなんか忘れてロジャーは亡くなったんじゃないか思ったらすごく遣る瀬無いんや。ジャッキーにはもちろん会いたいんやけど…この墓参りが何の意味があるんか、ようわからんようになって…」
と、ほとんど泣き言にしか聞こえないことを芳樹くんに言ってしまった。芳樹くんはおもむろに僕の泣き言に対してこう言った。
「ガンちゃん、ちょっと考え過ぎやと思うで。意味なんているんかな?僕は思うねんけど、きっとロジャーが呼んでるんやと思う。タルサ来い言うて。なんかこう、口でうまく説明でけへんけど。僕はそう思う。ロジャーが呼んでるんや」
芳樹くんのこの言葉は僕のタルサ行きの決定打になった。
僕もうまく説明できないが「ロジャーが呼んでいる」ということを信じてみたくなった。この世の事柄は、今存在するものでしか成り立っていないと思う。
亡くなった人はもういない。
だけど、こうして振り返るとタルサ行きが神懸かっていたのも事実だ。
「ロジャーが呼んでいるに違いない」
タルサ行きは僕一人のエゴで行くのではない。
みんなの想いを背負って行かなければならない。
僕一人の泣き言で行く行かないは通用しないんだ。
ロジャーが僕を指名したからには是が非でも行かなければならない。
ロジャーが眠るあの木の下まで。