2015.3.23 (mon)
4回表:映画『アメリカン・スナイパー』
アメリカン・スナイパー
2014年アメリカ製作 132分
監督:クリント・イーストウッド
原作:クリス・カイル「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」
脚本:ジェイソン・ホール
出演:ブラッドリー・クーパー
シエナ・ミラー
ジム・デフェリス
<ストーリー>
テキサス州生まれのカウボーイ、クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)はある日、テレビで1998年に起こったアメリカ大使館爆破テロを知る。愛国心が人一倍強いカイルはアメリカ海軍特殊部隊ネイビー・シールズに自ら志願する。やがてタヤ(シエナ・ミラー)という女性と知り合い結婚、幸せな日々を送っていたのだが、2001年に起こった9・11同時多発テロをきっかけにアメリカはイラク戦争へ突入する。家族を祖国に残しネイビー・シールズの狙撃手として一人戦地へ赴くカイルであったが…
平日の昼間にも関わらず映画館場内は混み合っていた。
半分以上若いカップルや春休みを謳歌する学生達、みなデートや春休みで浮かれた感じで、次回予告が上映中にも関わらず場内はざわめき立っていた。正直本篇が始まってこの調子じゃ堪らんと心配していたが、さすがクリント・イーストウッド監督。まるで『ダーティー・ハリー』のハリー・キャラハンが44マグナムを抜くが如く映画序盤のシーンで彼等を黙らせた。
かく言う私も思わず固唾を呑んで見てしまったのだが…
カイルの部隊が作戦中、建物から女性と子供が突如現れた。カイルは屋上からライフルのスコープで二人を監視する。一見すると普通の親子にも見える二人だが、スコープで注視すると女性が衣服から爆発物らしきものを出して少年に手渡していた。爆発物を手にした少年は哨戒中の戦車目掛けいきなり走っていく。その光景を見たカイルはライフルの引き金に指を掛けて…とパッと場面は変わり少年時代のカイルが父親と猟をする場面に切り替わる。ほんの5分足らずのシーンで場内の若い観客達は映画に引き込まれてしまった。
米アカデミー賞作品賞を2度受賞したイーストウッド監督の衰え知らずの辣腕ぶりはこのシーンでなおも健在である事を証明してみせた。
この映画『アメリカン・スナイパー』は実在したネイビー・シールズの狙撃手クリス・カイルの自伝が元になっている。彼はアメリカ史上最強のスナイパーとして崇められていた。4度のイラク派遣で彼は160人以上を射殺したと言われている。これはアメリカの歴史の中で唯一彼しかなし得ていない。味方兵士から”レジェンド”と呼ばれ、敵からは”ラマディの悪魔”と呼ばれ恐れられた。その腕前は1.9km先の敵兵を撃ち抜く腕前。皆さんもスナイパーと聞くと冷淡な男をイメージすると思いますが、このクリス・カイルは至って普通のアメリカ南部の男。そして妻や子供を愛する普通の良き夫であり、良き父親でもある。
だが戦場は無慈悲だ。
そんな至って普通の男が自分の息子と同い年の子に対してライフルの引き金を引かなければならない。彼は戦友を守らんが為に爆弾を持った女や子供を射殺しなければならない。
途轍もない罪悪感に駆られながら…
本当に慈悲なんてどこにもない。
戦場は彼の精神を徐々に蝕んでいく。
今アメリカでは、イラク帰還兵が患ったPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって引き起こされる犯罪が深刻な問題となっている。PTSDを患った多くのイラク帰還兵は夜も眠れず、ちょっとした物音や微かな光りすら恐怖と感じ常日頃から緊張した状態で自宅に居ても落ち着くことが出来ない。車を運転していても後続車が気になり、人混みや街中に居ても常に脅迫観念にかられ、いきなり奇声を発したり、暴れ出すことさえあるという。
劇中カイルが病院で血圧を測るシーンがあるのだが、ただ座っているだけで血圧が170もあった。カイルもPTSDを患った多くのイラク帰還兵のように常に緊張状態にあり落ち着くことができない。こうしたPTSDを患ったイラクやアフガニスタン帰還兵が犯罪に手を染めてしまうケースが近年非常に増えている。
最も最悪なケースが殺人事件。
その件数述べ194件にも及ぶ。
戦争は違う国の人命や財産を奪うどころか自国の兵士の人格さえ奪ってしまう。アメリカはまだベトナム戦争の教訓を生かしていないと改めて思った。
この映画はアメリカでかなり論争になっているらしい。ドキュメンタリー映画監督のマイケル・ムーアは「僕の叔父さんは第二次世界大戦でスナイパーに殺された。彼等は後ろから撃ってくる卑怯者だと教えられ育った。スナイパーはヒーローなんかじゃない。侵略者はさらにタチが悪い」とこの映画を罵った。
この彼らしからぬ(らしいちゃあ、らしいけど)発言が物議を醸し出す。即座に共和党の超右派サラ・ペイリンは「ファッ●ユー!マイケル・ムーア」と書かれたポスターを手にした写真を公開し反撃。この映画に対してアメリカ赤の保守、青のリベラルの論客達が真っ向から対立、大論争へと発展した。
確かに見ようによっては戦争を賛美する映画にも見えなくもない。反して凄惨な戦争を描いている反戦的な映画にも見えなくもない。確かにそいった側面もあるのだが、僕はそういう映画ではないと思う。一人の男が戦争という究極の局面とどう対峙し接していたのかをただ朴訥に描いているだけだと思うのだが。
右も左も関係なく…