2015.10.10 (sat)
7回裏:映画『野火』
野火
2014年 日本製作 87分
監督・脚本・編集・撮影・製作:塚本晋也
原作:大岡昇平『野火』(新潮文庫)
音楽:石川忠
出演:塚本晋也
リリー・フランキー
中村達也
森優作
中村優子
山本浩司
山内まも留
<ストーリー>
第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島で田村一等兵は結核を患ってしまう。塹壕も掘れない、食糧調達もできない兵士を置いとく余裕がないと上官から野戦病院へ行くよう命令が下される。レイテ島の原野を這いずり歩きながら辿りついた野戦病院には多くの負傷兵で踏み入る隙間もなく、さらに物資食料共に困窮するなか入院を拒まれ、やむなく戻った部隊からも入隊を拒否される。幾度もそれを繰り返し野戦病院の外で仕方なく過ごしたある夜、アメリカ軍の夜襲でその野戦病院も負傷兵共々爆破される。フィリピン・レイテ島の鮮やかな原色に満ちた草花が群生する原野を青黒く鈍重な身体を引き摺りながら、あてもなく一人彷徨う田村一等兵はある教会を目にするのだが…
映画が終わり幕が降りるとLED照明が場内を穏やかに照らし出した。
塚口サンサン劇場で上映された『野火』の監督・主演を務めた塚本晋也監督が今から舞台挨拶をしてくださるとのこと。そのとき想像してしまったのだが、監督がもし田村一等兵の姿で現れたらというイメージがふと頭をもたげた。その妄想をした刹那、ある戦々恐々とする、自分では何とも言い難い嫌悪感が身体全体を支配した。
いやだった。
ただ、ただ、またあの映画の世界に触れること、考えや想像を巡らすことがいやだった。終わって間もないまだ頭の整理がつかぬ状態で監督が田村一等兵の姿で現れたら、あのいい知れぬ恐怖がまた蘇りはしないか不安で不安でならなかった。通常の舞台挨拶では映画内で演じた衣装で役者さんが登場すると皆好奇の眼差しで見たり、はたまた笑いの種として場を和ます手段として用いるだろう。
だが『野火』に関してはこれら一切のことが当てはまらない。映画は映画。そんなことは言われなくともわかっている。幕が降りると、はい終わり。またすぐ現実に、人畜無害な日常にあっさり戻れる。だがこの映画はそうは問屋がおろさない。しばらくの間、人によっては一生まとわりつく映画なのだ。
過去にあった史実でもある。確かに愚かな戦争だった。いや、戦争自体人間の最も愚かしい行為である。これらを加味した映画は世界中幾らでも存在する。
しかし、こと映画となるとエンターテイメントとなる要素は不可分であり、そしてそれこそが映画たる所以なのは重々承知している。いや、だからこそ人々を魅了してやまない。だがこの映画は掛け値なしにこの要素をできるだけ排除している。
極限にシェイプされた”戦争映画”。
”戦争映画”?
なんだかこれもしっくりこない。
「今回上映の『野火』に主演・監督を務めた塚本晋也監督です」
塚本監督が登場すると場内から暖かくもどこか畏怖の念を感じる拍手がわく。
「いやーすいませんね。今までねスクリーンに出てた男がこんな恰好で…何か拍子抜けする方もおられるんじゃないでしょうか。なんだったら田村一等兵の衣装で登場した方がよかったかな」
監督の物柔らかな佇まい、しゃべり方が相まって場内がどっと安堵の笑いに湧いた。
さすがだ。ぐうの音も出ない、まさに完璧な掴みだった。おかげで僕もようやく現実に戻ることができた。インタビュアーの方が監督に『野火』の制作の経緯について質問を投げかけた。監督曰く、実は『野火』は20年以上前から映画化を進めていて、その都度予算が合わずに話しが流れてしまったとのことだった。自分の映画監督としての区切りとしてこの映画はスポンサーによるあらかた豊富なバジェットで制作したいと常に考えておられていたのだが、自信が監督・主演を務めた『バレット・バレエ』公開時の2000年に徐々にそれが困難になると予感ではあるが感じていたと仰っていた。
「いやー本当にお金なくてね。衣装とかも一着しか買えなくて…銃もね、あれ借りたんですよ。しかも一丁。」
インタビュアーの方が驚きを隠せないまま「では他の役者さんの衣装小道具はどうなされたのですか?」と場内のお客さんの当然の疑問を代表して監督に問いかける。
「あれね、増やしたんですよ。うん、増やした。今回完全に自主制作の体制で撮ったので、とにかく予算がないんですよ。で、ボランティアスタッフを募集して、そこでスタッフにこれ増やせる?と聞くと、なんとかしますと言うんで…でも本当になんとかなりましたね。あと軍用車両の模型をね、念力を込めて、こうやって手で撫でながらこれ大きくならないかなとかやってたら、スタッフがなんとかしますと言うんで、やはりこれもなんとか大きくなったんですね」
このあとどうやって小道具衣装を増やしたのか、映画で登場する軍用車両をどの様にして作ったのかを監督が事細かに説明するのだが、まあ見事としか言いようがない。そもそもこのクオリティーで完全自主制作ということが信じられなかった。一体幾らの予算で撮ったのか…監督の呆れる程の執念が垣間見えた、そんな瞬間だった。
そこである疑問が浮上した。
それほど思い入れのある大岡昇平原作の小説『野火』の映画化をある程度の資金が集まった段階で制作できなかったのか。しかし今年は戦後70年という節目、そしてなにより安保改正による、きな臭い世に舵を切った日本でこの映画を上映する意義は十二分に理解できる事象なのは誰の目にも明らかだ。だが、失礼な言い方かもしれないが、低予算のせいで自分が納得できる作品になり得ず、しかも誰も共感を得ない駄作を生み出す可能性すらあるハイリスクな自主制作の道をなぜ選んだのか、そこが個人的に引っかかり疑問に思ってしまったのだ。
それこそ監督も不本意に思うはず、後悔の念に苛まれるのではないだろうか。
「今年は戦後70年という…少なからず意識はしていました。しかしそれがこの作品をこのタイミングで制作する本当の理由ではなくて、フィリピンに従軍して生き残った方々、各戦地に赴いた方々が今はもう90才以上か近くの人がほとんどなんですね。この戦争で受けた底しえぬ身体の痛みを心の痛みを真に伝える人が居なくなるにつれ、この国が戦争に向かおうとする風潮を肌で感じるようになったんですよ。小規模な制作でもやはりお金が集まらなくなって、お金の問題でもないんですが、これ以上先延ばしにすると作品自体作れない上映できない状態になるのではと思い、もうこれは今しかないと思ったんです」
『野火』は自主制作の体制で制作されたからこそ監督の意思、情熱が画面の端々まで投影されたのではないだろうか。だがらこそあのフィリピンの豊かな、そして目に突き刺さる原色の熱帯雨林で繰り広げられる人間の愚かな行為が生々しく表現されているのではないだろうか。戦後70年が過ぎ、当たり前のように平和を謳歌する僕にとってそれはあまりにも鮮烈だった。
監督はこの映画を一人でも多くの人に、特に10代の若い世代に是非見てもらいたいと、そしてトラウマになってほしいと仰っていた。
監督がこうも仰っていた。
「この映画は大岡昇平が見たもの、彼がレイテ島で体感したものを追体験する感覚で映画を製作しました。それを観客の人達にも感じてもらいたい、そしてなぜこんなことが起きたのか改めて考えてほしい」
目が醒めるほどの深緑の原野で、とにかく人が屠殺場の牛豚以下に死んでしまう。唯一戦闘の場面がある。しかしあれが戦闘なのか甚だ疑問なのだが、敗走する日本兵が容赦なく敵の機銃掃射で撃ち砕かれる。このシーンで敵の姿は見えない。敵の意思さえ感じない。降り注ぐ銃弾が四肢をことごとく破壊していく様にまるで生命の死に対する敬意が微塵も感じえない。
牛豚以下の死。
無下に、無下に、人が物と化す。
恐ろしい、本当に愚かしい。
これが戦争だ。
フィリピンの原色豊かな大自然であろうが関係なくそのなかで人が愚かな行為に疾走して行く。敗走する兵士の間で極度の空腹により人肉食も横行するようになる。
人間の尊厳。
実はこんなものは社会の理念上だけで成り立っているものに過ぎず、教育、道徳、宗教、あらゆるものを取っ払うと人間はサル以下に成り下がるのか。
頭が痒くなる。わからない…わからない。嫌なほど、本当に嫌なほどこの映画が容赦なく突き刺さる。これが戦争映画なのか?それすら体(てい)をなしていない、人間という儚く脆い存在をまざまざと見せつけられた、そんな印象が大半を占めた。
人間が悪いのではなく戦争が悪い。
ごもっとも、だが人間が超えてはならぬ一線とは何か。人が人で在るがゆえに踏みとどまれるギリギリの一線とは…本当に考えさせられた。唯一の救いなのか主人公の田村一等兵が映画終盤に見せたある行為が目に焼き付いている。懇願、悔恨とも取れる祈り、懺悔。それのどちらでもないのか…
映画館を出て夜空を見上げた。涙が溢れそうになって夜空を見上げた。何故なんだろう。映画から解放された安堵からくるものなのか、実際に体験され従軍された方々を哀れんでのことなのか、平穏無事な日常に感謝してなのか…
わからない…わからない。
ただ、ただ涙をこらえるのに夜空を見上げた。
私財を投じて『野火』を制作した塚本晋也監督、並々ならぬ情熱でサポートしたボランティアスタッフの方々に対し感謝の言葉しか思い浮かばない。この作品が後世に残るよう、そしてこんなことが二度と起こらぬよう切に願う次第です。