2016.02.13 (sat)
8回裏:映画『ある子供』
ある子供
2005年 ベルギー/フランス製作 95分
監督:ジャン=ピエール・ダルデンヌ
リュック・ダルデンヌ
脚本:ジャン=ピエール・ダルデン
リュック・ダルデンヌ
出演:ジェレミー・レニエ
デボラ・フランソワ
<ストーリー>
若いカップルであるブリュノ(ジェレミー・レニエ)とソニア(デボラ・フランソワ)は子供を授かるが、生活保護給付金と夫のブリュノが盗んだ盗品をさばいて得た金でその日暮らしの生活をしていた。ある日ソニアはブリュノに定職に就くよう説得するが、ブリュノは意に介さずある行動に出る…。
ベルギーといいますとバレンタインのタイミングも相まって高級チョコレートで有名なゴディバのチョコを思い浮かべる。あの重厚感と高級感ある甘味と風味は皆さんも周知の事実として、この映画はそれとはもっとも無縁な位置に存在するであろう、現在のベルギーの若者が抱える閉塞感や虚無感、それに呼応するかのようにやけに近くに感じる灰鼠色の雲、それを写す川の水面、泥が沈む水溜まりが終始画面を支配している。
なんともやりきれなく感傷的にならざるを得ない。
この映画で唯一朗らかなシーンがあるとすれば、映画序盤に二人がほたえるシーンがある。
あえてそれだけを見ると豊かな未来が待ち受けるカップルに見えなくもないのだが、しかしそれでも不穏な感触といいますか、その”未来”が不透明極まりなく、そのほたえるシーンがどう見ても子を持つ夫婦とは到底おぼつかない10代の子供にしか見えず無作為な、いわば行き当たりばったりの行為にしか見えない。たわいもない若年者の行動なのですが、この”とりあえず”の行為がこれから起こる受難を掲示するかのように見えるのだ。
兎角二人はれっきとした子を持つ親になったのだが、いかんせん男女の差なのか父親の方は、ほたえた行動を引きずるように本当に浅はかな行為に及ぶ。盗品を買うバイヤーからの助言も手伝ってはいるが、よくもまぁそんなことを思いつくなと。それが引き金になり、主人公が何度となく浅はかな行動で雁字搦めになる様はシドニー・ルメット監督最後の作品『その土曜日、7時58分』に通じるものがある。
しかし『その土曜日、7時58分』の方は分別ある大人が(犯罪を犯す人間が分別があるかどうかはさておき)用意周到な犯行を計画するもそれが脆くも瓦解し醜く抗い朽ち果てていく人間を見事に描写しているのだが、本作『ある子供』はイノセント、つまり道徳感の欠如によって引き起こす醜態が主人公自身を苦しめていく。
前者は悪意ある行動、後者は無知、言い換えれば馬鹿なのだ。見ているあいだ何度「ほんま何してるんだ馬鹿!」と思わずにいられなかった。
両作品とも主人公はえらい目に遭う。もちろん自業自得であるのは疑いの余地もないのだが、本作『ある子供』は映画終盤につれ、あくまで筆者の感想だが、これが段々と”生”に繋がる希望的観測に置き換えられていく。ともかく無計画で幼稚な犯行を重ねてぼろぼろになっていくのだが、何故か前述したように「生きろ」と願っている自分がいた。生きてさえすれば、生きてさえすればお前は救われると。主人公がぼろぼろになればなるほど、その思いは強くなる一方で「馬鹿何してるんだ」と「生きろ」とが交互に口からついて出るほどだった。
この映画の主人公ブリュノを演じたジェレミー・レニエが憎らしいほどハマっていた。端正な顔で知性ある風貌も感じるのだが、しかしそれでも演技力の妙ともうしますか、本当に救いようのない主人公ブリュノを見事に演じきっていた。それと何と言ってもカンヌ映画祭パルムドールを本作を含め二度の栄冠に輝いた監督のダルデンヌ兄弟の秀逸な演出、カメラワークがこのどうしよもない父親をブラッシュアップし、観客の行き場のない焦燥感を見事に煽り、そして”生”の執着により生まれたカタルシスがなんとも心地よい余韻を残す。
この手のジャンルでいうと青春残酷劇の決定版『真夜中のカウボーイ』を見て以来の衝撃だった。
しかし本作は”光”がある。一途の心許ない”光”ではあるが…