2016.04.01 (fri) 

 

 

9回表:あゝ我が心の阪神タイガース


このコラム「ヒット&ラン」と銘打ちながら、今まで野球に関することを全く書かなかったわけで…。いかんせんここ数年の我が阪神タイガースの体たらくぶりを見兼ね筆が進まず、ことあるごとに飼い猫にあたり散らす始末でございました。

 

しかし今年のタイガースは金本知憲監督のもと”超変革”とスローガンを揚げて、今までにない躍動感溢れる野球を展開し見事今シーズン開幕カード勝ち越しに成功したのであります。つきましては今年の期待を含め今回は皆さんお待ちかね、我が阪神タイガースについて駄文ながら小生のタイガース愛を少々書かせてもらおうと思う次第でございます。

 

えっ誰も待ってない?

 

いやいやそう言わずに少しの間つきあっていただけたら、これ幸いでございます。小生が阪神ファンになったのは今を遡ること24年前の1992年、昨年お亡くなりになられた中村勝広監督政権下3年目のいわゆる超暗黒時代真っ只中のことでございました。その年は新庄剛志、亀山努、久慈照嘉の若手の台頭、トーマス・オマリー、大洋ホエールズを解雇されたジェームス・パチョレックの優良外国人助っ人、投げては先発マイク仲田幸司、中込伸、湯舟敏郎、野田浩司、そして抑えの燻し銀田村勤によるチーム防御率2.90と抜群の安定感を形成した投手陣の活躍により、2年連続最下位から一気に優勝争いを争うまでにチームが躍進した年でありました。

 

その中でも小生の目に留まったのは抑えの田村勤。

 

左サイドスローから繰り出すあのキレッキレのストレートは当時の強打者を物の見事に手玉にとってみせたのでありました。しかし前半戦の登板過多が祟り田村の左肘は悲鳴をあげ後半優勝争いの最前線に田村の姿を見ることはなかったのでありました。そして田村が離脱したタイガースは徐々に失速、野村克也監督率いるヤクルトスワローズに2ゲーム差をつけられ優勝を逃したのであります。しかし優勝は逃したものの、この年毎試合好ゲームを繰り広げたタイガースは小生を魅了するのに十二分な存在となったのです。

 

くよくよせず気を取り直してさあ来年来年。

 

が、翌93年の4位を皮切りに、せっかく強さを取り戻しつつあったこのチームは、誰も頼んじゃいないのにまた自らダークサイドに猪突猛進するのであります。ここでタイガース暗黒時代93年以降の順位と監督名その年ごとのセリーグ優勝チームをざっとあげておきます。

監督 順位 優勝チーム
 1993 中村 勝広 4位 ヤクルト
1994 中村 勝広 4位  巨人
1995 中村 勝広 6位  ヤクルト
1996

藤田 平

6位 巨人
1997

吉田 義男

5位 ヤクルト
1998

吉田 義男

6位 横浜
1999

野村 克也

6位 中日
2000

野村 克也

6位 巨人
2001

野村 克也

6位 ヤクルト
2002

星野 仙一

4位 巨人

目も当てられない順位であります。

本当に負けまくりました。

10年でAクラスが1回も無い。

本当に暗黒時代。

選手、監督、球団本当に勝つ気あんのと言わざるを得ないくらい負けまくりました。

 

無理もございません。人気球団の性と申しますか、とにかくぬるま湯にどっぷり浸かってのチーム運営だったのだから。例を挙げますと、やはり85年日本一の呪縛なのか、ラッキーゾーンを撤去したにもかかわらず、まだ巨砲巨艦主義を唱えるフロントが、ホームランが少ないという理由でシェアなバッティングでチームに多大なる貢献をしたトーマス・オマリーをあっさり解雇。後に連れてくるグレン・デーヴィスやスコット・クールボー、名前がランディ・バースに似ているからと来日したケヴィン・マースなどは1年ないしその次のシーズン途中で解雇帰国。解雇されたオマリーはというと移籍先のヤクルトで大車輪の活躍、ヤクルトの優勝に大きく貢献。

 

トレードもトンチンカン。

 

当時急成長を遂げつつある先発野田浩司を92年の優勝を逃した原因は、これまたホームランが少ないからとの理由でオリックス・ブルーウェーブの松永浩美と大型トレードを敢行。しかしオリックスに移籍した野田はエースとして覚醒、阪神に来た松永は開幕こそ5打数5安打と非凡な打撃センスを存分に発揮するも、故障により早々に戦線離脱しそのまま当時導入したばかりのFA権を日本人で初めて行使、そそくさとダイエーに移籍しました。たしかABCアナウンサーの道上洋三氏が「ドロボー!」と叫んでたような。とにかく若手は育たないわ助っ人外国人は大型扇風機と揶揄されるわ、去っていく選手はみな移籍先で大活躍。

 

そりゃ弱いわけであります。

希望も光もありゃしませんでした本当に。

 

あの弱小球団だったヤクルトを90年代5回も優勝させた名将野村克也監督でさえ3年連続最下位という不名誉を背負わされたのです。もうこうなったら笑うしかない、おおいに笑ってやろうと小生のなかでタイガースはお笑い球団との位置付けになったのです。横浜ベイスターズ波留敏夫が打ったなんでもない内野ゴロがランニングホームランになったり、当時二塁手だった今岡誠のボールのお手玉は日常茶飯事、急にどうした!新庄剛志の「野球やめます」宣言と枚挙にいとまがございませんでした。

 

しかし2002年、こんなぬるま湯球団に熱き男が現れたのです。

ぬるま湯を熱湯に変える男が…

 

闘将、星野仙一。

 

 

しかしよく監督を引き受けてくれたなと、あの野村克也監督でさえ変える事ができなかったタイガースをどのように変えるのか、その一挙手一投足が注目されました。中日時代鉄拳制裁も辞さない闘う姿勢が果たしてぬるま湯球団阪神タイガースにどう影響を及ぼすのか、合わずにそのまま選手諸共潰れてしまうのでは、そんな予感も少なからず小生の胸のつかえになっておりました。

 

が、蓋を開けてビックリ。 

いきなり破竹の開幕7連勝とその手腕が見事実を結ぶのであります。

 

忘れもしません。あの巨人開幕第1戦で試合前の国家斉唱後の重苦しい雰囲気のなか、星野監督が選手達に「楽しんでいこうぜ」と言わんばかりに戯けながらハイタッチをする姿を見てこの試合いける、今年は何か違うと…。

 

 

しかし故障者が続出したこの年、開幕の勢いを維持することなく4位に終わるのであります。ところが翌2003年阪神では珍しく、いや球団史上最大の大型補強を敢行。広島カープから我が心のアニキ金本知憲を筆頭にメジャー帰りの伊良部秀輝、日本ハムから下柳剛、野口寿浩が新たに加わり、人が変わったように打ちだしたこの年の首位打者今岡誠はじめ、2年連続盗塁王赤星憲広や藤本敦士、濱中おさむ、井川慶の生え抜き若手の台頭、さらに暗黒時代を支えた八木裕、桧山進次郎、矢野燿大、藪恵壹、移籍組の広沢克実、片岡篤史といったベテラン勢の奮起、ジョージ・アリアス、ジェフ・ウィリアムス、トレイ・ムーアなどの外国人助っ人の活躍により見事18年ぶりのリーグ優勝を成し遂げたのでありました。

 

あのお笑い球団が常勝軍団へと変わる様は涙なくして見ることができませんでした。 

長かった、10年、本当に長かった…。

 

人を感動へと導く球団へと変わった我が阪神タイガースはこの後も2005年リーグ優勝、常時Aクラスに名を連ねる強豪チームへと成長するのですが、ここ数年どうもピリッとした試合を見せてくれない。また暗黒時代の足音さえ聞こえてくるような展開に日々怯えるのでした。しかし今年は金本知憲監督が就任し今また新たにエキサイトする野球を見せてくれております。高山俊、横田慎太郎といった若虎が元気に暴れまわっています。まだ序盤ではありますが、小生今年の阪神タイガースに期待大でございます。

 

昨年だったか、乗っていた電車内である男性がこんなことを言っておりました。「20年くらい前の阪神が一番おもろかったわ。あの駄目っぷりがおもろかったんやないの。今じゃ数億円プレイヤーがごろごろ居るのに中途半端な試合しよって。あの暗黒時代の阪神のスタメンの年俸あわせても巨人の松井秀喜の年俸のほうが高かったいうで。そりゃ弱いわけや。しゃあけどそんなエリートをいてこませるのがなんとも気持ちよかったやないの」

 

なるほど、そんな見方もあるものなのか… 

ですがもうあの暗黒時代は金輪際御免こうむりたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年5月、藤波晋太郎選手が巨人戦で自身初の完封勝利試合。三塁側アルプススタンドで気分上々の筆者。撮影は隣りで観戦していた見知らぬ少年。