2017.10.15 sun

 

 

**第5章:西部の掟**

 

 

楽屋とは名ばかりの鍬や鋤、ビールケースが乱雑に置かれた店の裏手の物置小屋で、カフが出してくれたランドクラブ・ケーキサンドを申し訳程度に口にいれながら、メンバーが今日演奏するセットリストを確認していた。

 

「一曲目は<冬の日の情景>からですね!」

 

マネージャーの篤は颯爽と言い放った。メンバーの不安を和らげようとしたのか、その声に一分の淀みもなかった。しかしそれは篤の過剰な気遣いとわかり、かえってメンバー数名のパラノイアを駆り立てたりもしていた。曲順はものの5分たらずで決まっていた。とはいえ曲順以前にメンバーの不安の的は、もっぱらステージ前の金網の存在だった。

 

「はい!はい!みんな表情が重いよ。ここがどこであろうと気合い入れていきましょう。思い焦がれた"彼の地”でのライヴツアーなんですよ。ほら、ほら、ほら!」

 

篤はアルの手前そう言わざるを得なかったが、それとは別になにか言いようのない感情がふつふつと湧きだしていた。そして、いかにもいま自分たちは"アメリカツアーの真っ最中だ”とメンバーにも自分にも言い聞かせるように手を叩き鼓舞した。

 

「それはごもっともやねんけど。やっぱりあの金網がどうもいけ好かんというか。アル、なんかもう一人の穏和そうな店員と話してたけどあの金網についてなんか聞いた?」

 

辻はできるだけ金網の存在の理由をクリアにしたい一心でアルに訪ねた。

 

「いや、それ以前にあの頭うすい店主がどうもみなのこと気に入ってないみたいやねん。田舎にようおるゴリゴリのキリスト教原理主義で排他主義のおっさんやな。ワシ、金網以前にそれが気になるんよ。もう一人のカフていう店員はほっとけて言うてるけどなぁ」

 

「おう、やっぱりそうなんや。おれらのリハ聞いてた時点であやしいとは思ってた。なんか、もうやめろとでもいわんばかりに自分の首を何度も切るジェスチャーやってたしな」

 

ヒョンレがリハーサルを聞いていたロブの態度に強烈な違和感を感じていた。

 

「まぁいざとなったら弁が立つワシもいてるし、ヤバなったらレジからギャラ分かっさらって逃げたったらええねん!」

 

「それ犯罪」

 

スチョリは少しあきれた様子でアルの無責任な発言に釘をさした。

 

「なんにせよリハーサル聞いてのワシの感想やけどみな大したもんよ。日本のロックはこことはだいぶ遅れてるって聞いてたけど、なんの十分通用するで。ワシが保証する。ガツンといてこましてまえ!」

 

アルの言葉にはふしぎと自信がみなぎっていた。

 

「いや、アルてさっきから日本の歌謡曲しか口ずさんでないやん。ほんまに詳しくてそんなこと言ってるのか信用できんねんけど」

 

辻はアルの音楽に対する見識にはなはだ疑問を抱いていた。

 

「アホなこと言いなさんな。どんなけ足繁くグリニッジ・ヴィレッジに足運んだか。自慢ちゃうけどディランがワシが持ち歩いてるギターにサイン書いてくれたんやで。ジャニスからサザン・コンフォートおごってもらったこともあるし。こないだジェイムス・テイラー主演の『断絶』も見たし。あっ、でもあの映画、本人の曲ぜんぜん使われてなかったな。いや、ほんでこう見えてデッド信者やぞ。かつて"マサ工大のフォークだるま”て言われたこのワシが太鼓判を押すんやさかいドンとかまえてほしいな」

 

「マサ工大?」

 

十夢はどこかの大学の略称とは気付いたのだが、どこの大学なのかまったく検討がつかなかった。

 

「ほれ、マ、マセテー、セ、セッテコーキ大学やんかいさ」

 

「は?」

 

アルのたどたどしい言い回しに全員が声を揃え疑問を抱いた。

 

「あ、あの、あれや。マ、マゾ通、セ、雪駄、小梅大学?いや、マ、マ、マサ斉藤...」

 

「アル、一回英語で言ってみて」

 

辻の提案はまんざらでもなかった。

 

「Massachusetts Institute of Technology!」

 

「ごめん、もう一回日本語でおねがい」

 

「マ、マ、マサオトメリーノスカイライン...」

 

それを言うなら「ケンとメリーのスカイライン」である。

 

「なるほど、もう一回英語の発音で」

 

「Massachusetts Institute of Technology!」

 

「日本語は?」

 

「マ、マ、マ...もうええやろボンちゃん、ワシで遊ぶな!このTシャツのプリントみたら大体わかるやろ!」

 

アルがそういうと、Tシャツにプリントされた<MIT>のロゴを指さした。

 

「はははは、ごめん。なんかおもしろなってついいじってもうた」

 

辻の笑い声は微かに悪意を含んでいた。

 

「しかしアルがマサチューセッツ工科大卒やとは、人は見かけによらずとはよう言うたもんやな」

 

ガンホがアルの超高学歴に深く感心した。

 

「ガンホ凄い!噛まずにすらすらいえた。なぁなぁ、どないしたらそんなけすらすらと言えるん?なぁなぁ!」

 

「えっ!そこ食いつく?」

 

ガンホはアルのどうでもいい興味の対象に引いてしまった。

 

「それはそうとアル、ネバダ州の特にこの地域の人がよく聞く音楽のジャンルてわかるか?」

 

「そうやな、ここは西部やからな。えーと...」

 

アルは天井を見上げ、何かいい案がないか耽っている。

 

しばらくしてアルは手を叩いた。なにやら思いついたようだ。

 

「うん、これはうけると思う!チョーさん英字の歌詞やけど大丈夫?ワシがチャチャッと書くわ」

 

ヒョンレの質問でなにか思いついたのか、アルは"我が意を得たり!"の様子だった。

 



 

本番10分前をむかえた店内は意外と賑わっていた。テーブル席はほぼ埋まっているといっていい感じだった。客層はどちらかというとブルーカラーの運送業者、いわばマッチョなトラックドライバーがほとんどを占めていた。人目をはばからず怒声のような大声をはりあげ会話し、テーブル席を縫って飲食物を置くウエイターの尻をなでてはゲラゲラ笑うヤツや、腕に彫られた刺青の見せ合いをするヤツもいた。

 

女性の姿も散見されるが一応お相手がいるようで、カウンターで肩を抱き合っていたりキスをしていたり、なかには平手打ちをかましている女性もいる。みなあまり音楽に執着しているような感じはまったくなく、娯楽が少ない町のささやかな寄り合いのような、惰性で仕方なく集まった印象を受ける。ひらたくいえば音楽を聞く姿勢を彼らから微塵も感じない。そんな会場を見渡したメンバーは、明らかに場違いな雰囲気にのまれそうになっていた。

 

「さっきアルが決めた一曲目、ほんまにうけるんやろうな?」

 

「何回言わせるんやチョーさん。大丈夫、おおうけ間違いなし!」

 

舞台裏で不安を感じているヒョンレをよそに、アルは鼻息を荒くして自分の選択した曲に絶対的な自信を持っているようだった。しばらくして、会場に古い映画館で鳴るような歪な音のブザーが鳴り響いたのと同時にメンバー全員の肩がうわずった。

 

ステージ脇にいたカフがGOサインを出す。

 

「よっしゃ、みないっちょかましたれ!」

 

「バシッとええ演奏期待してますよ!」

 

アルと篤がメンバーに激を飛ばした。しかし、それに答えようとシャンとする様子はなく、猫のように丸まった背中をしながらステージに上がったメンバーは、各自不安そうにアルと篤を見つめた。

 

「大丈夫かいな?あっつん...」

 

「いや、ぼくもちょっと不安になってきた」

 

アルの問いかけにマネージャーの篤は力なく答えた。会場に来ている客はもう始まっているにも関わらず、おもいおもいに好き勝手をしている様子でステージに集中する気配がまったくない。それでも数人は口を手で囲い、ステージに現れたメンバーに向かってなにやら声援を送っているようにも見えたが、よく聞いてみるもなにもブーブー言っているので明らかにそれはブーイング、みなもうライヴなんぞはどうでもいい様子だった。

 

「え、えと、打ち合わせしたとおりキーはEmで。ほんでボン、ドラムのテンポはミドルな。十夢、俺のギターリフと合わしたタイトなフレーズでベース進めてくれ。ガンホはシンプルに歌のメロディーにそったソロ頼むわ。スチョリはスタッカート効かしたバッキングを心がけて。ほ、ほな始めるで」

 

ヒョンレはローコードのEmフォームから織りなす、ボトムを効かした牧歌的なリフをおもむろに弾き出した。みなそれにあわせて、ヒョンレの注文に沿った演奏を始め出す。

 

「ローレンローレンローレン、ローレンローレンローレン、ローレンローレンローレン、ローレンローレンローレン、ロ~ハ~!」

 

ヒョンレが高々と声をはりあげた。

 

「ハーッ!ハーッ!」

 

ガンホが、さきほど物置小屋で乱雑に置かれていた農具や埃をかぶった鞍に結んである革紐で作った鞭に見立てたものをステージに打ちつける。店内にいる客の視線が刹那にステージに集まった。

 

「お、おい、なんか反応ががらりとかわったぞ。おほっ!これいけるんちゃうか?」

 

スチョリが感じた好感色は、ほんのつかの間のことだった。それはスチョリが感じたのとは大いに反した敵意剥き出しの行為だった。ヒョンレが一番目Aパートを歌おうとした直後にビール瓶数本が勢いよくステージめがけ飛んできたのだった。

 

「ロ、ローレンローレンローレン、と、トウザストリンザ、そ、ソローレン...」

 

ヒョンレが咄嗟に頭を上げ下げして怯みながら歌を続ける。その動きはモグラ叩きのモグラのようだった。金網に拒まれ叩きつけられた瓶は、勢いよく弾けたり割れたりした。それを境にして瓶やらグラス、なかには開けていない缶ビールなどが続々と投げられてきた。そしてその都度金網に阻まれたそれらは弾かれ割れて、最初に投げられた数本の瓶といっしょの運命をたどった。

 

「あ、あかん。こ、こいつら狂いだした!」

 

スチョリはそういいながら危うくなりそうな手元を正し、バッキングのリズムを保ちながら必死で演奏を続けた。ビール瓶が金網で割れるたびに瓶に残っていたビールの泡が弾け、メンバーに容赦なく降り注ぐ。

 

「ローレンローレンローレン!」

 

「ハーッ!」

 

演奏は一応形にはなっていたが、メンバーの心中は穏やかなるものではなかった。というか逃げ出したかった。客ももうやめろと言わんばかりにどんどん瓶を投げ込む。やがて床や手がべとべとになっていくのが手に取るようにわかりだした頃にはもう「ローハイド」は終盤を迎えていた。

 

「ロ~ハ~イ!ローハイッ!」

 

なにをトチ狂ったのかヒョンレがオーラスの歌声に合わせ両手を高々と掲げ決めのポーズをした。余計にビール瓶が飛んできた。

 

 

(つづく)