2017.10.22 sun

 

 

**第6章:下弦の月**

 

 

会場は一触即発の様相を呈していた。わけもわからず勢いで喧嘩をしだすヤツがいたり、なぜか泣いているヤツもいた。とにかく会場は混乱の極みに達していた。そんななかステージ際では、カフが羽交い締めにしてステージに上がろうとしている男を必死に止めている。

 

「NEXT!」

 

カフが叫んだ。

 

「ヒョンレ!」

 

まだ手を掲げて悦に入っているヒョンレにスチョリは焦って叫ぶ。

 

「次、ヒョンレからやぞ!」

 

「えっ?ああ…」

 

ヒョンレがスチョリの叫び声で正気を取り戻し、テレキャスター・シンラインをストロークで弾きだした。こんな混乱した状況にも関わらず音は落ち着き払っていた。スチョリが安定したギターのストロークに沿って流麗なオブリガードを弾いた。テレキャスターの高音とピアノの中音域が絡み合い会場の隅々まで鳴り響くようだった。辻のハットシンバルとリムショットがいい具合に揺れながらリズムを刻み、それに合わせ十夢のベースがグリッサンドで絶妙なポイントで曲に参加してきた。曲の滑り出しは上々と言うよりむしろ鬼気迫るものを感じさせる。かつてこれほどまでにエモーショナルで、そして相反するように静かな立ち上がりがあっただろうか?ガンホはフロントピックアップを生かしたボリューム奏法でレスポールを弾きながら、あのときのことを思い出していた。

 

それは15年前のある秋の夜のことだった。その日の夜10時にバンドは2時間ほどのリハーサルを組んでいた。集合時間より20分早くリハーサルスタジオ付近に着いたガンホは、しばらく車で待とうと思い、煙草をふかしながら運転席のシートを倒して窓を開けた。車に入り込んだ夏の残骸のような熱気が、町の排ガスを伴って鬱陶しくまとわりつく。

 

「ええ加減にせえよ」

 

ガンホは胡乱だ秋の気配に嫌気がさした。フロントガラスから見える半分以上欠けた月が、満月のように煌々と輝いていた。しかしそれはあまりにも鮮明に輝いていて、言いようのないアンバランスな感覚を醸し出していた。FM局からギャングスタラップの畳みかけるようなリリックが聞こえてくる。が、なんの前触れもなく仰々しい声でラジオDJがそれを遮った。

 

「ここでニュースが入りました。先ほどニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が衝突したと情報が入りました」

 

ガンホは耳を疑った。だが咄嗟に、どうせさっき流れていたギャングスタラップのリリックを引用したDJの悪ふざけだと思った。しかしどうも様子が変だ。DJが続けた。

 

「...ツインタワー北棟に衝突した模様です。ニューヨーク市警および消防局は事件事故両面での可能性を示唆しており、できる限り特定を急がせていると発表がありました。また新しい情報が入り次第お伝えしたいと思います。え、ここでまた新たな情報が入りました。世界貿易センタービルのもう片方の南棟に続けて旅客機が突っ込み、爆発炎上した模様です。繰り返します…」

 

ガンホは強烈な息苦しさをおぼえた。と同時にこれは明らかに事故ではなく故意で起こった事件だと判断した。あまりの息苦しさにガンホは運転席のドアを開け、つんのめるように車から出た。

 

「なんやねん、なにがあった!」

 

ことの真相を確かめるためか、ガンホは車のトランクからギターケースを出し駐車場からスタジオへと走っていった。そして国道26号線沿いの1階テナントに消費者金融が入っている雑居ビルの階段を慌ただしく駆け上がりスタジオ出入り口のドアを開けた。

 

「ガンホくん大変やで」

 

先に着いていた十夢がガンホに慌ただしく言った。

 

「携帯の緊急速報メール来てません?」

 

「えっ」

 

ガンホは十夢の言葉で気づき、ゆっくりと携帯の電源を入れた。

 

「おい、えらいこっちゃやで。とりあえずおはようさん!」

 

ヒョンレが少々焦った様子で待合い室に現れた。

 

「おい、どないなってんねん?」

 

「ほんま、なにがあったん?」

 

ヒョンレに続いて現れたスチョリ、辻もスタジオに向かっている間に起こったこの未曾有の事件に取り乱した様子だった。

 

「誰か、テレビ見てない?これって結局事故なん?」

 

辻の問いかけにみな首を振った。辻の一言で誰も事件の詳細を把握していないことが明白になった。ラジオもない密閉されたスタジオの待合い室でメンバーは悶々と考えを巡らせていた。

 

「2機続けて突っ込んできたんやろ?こらたぶん、テロやぞ」

 

ヒョンレがそう言うとショートホープを一本取り出して火をつけた。しかしその手は心なしか震えているようにも見えた。

 

「センソウ、デスカ?」

 

十夢の言葉はあまりにも無機質だった。

 

「これ絶対戦争なりますよ。もう、どうするんすか!近いうちに、ひょっとしたら明日かも。ここも戦場になって、銃弾とか爆撃で、この街もみんなの体もバラバラになるんですよ。うう、この歳で死にたくないす。うう...死にたない」

 

「いや、どうする言われても。ほんでそんな急なことにはならんと思うけどな…」

 

ヒョンレは十夢をなだめようと落ち着いた声で言った。しかし十夢の問いに対しまったくないとも言い切れない、そんなことには絶対にならないという確証めいた言葉は何一つ思い浮かばなかった。ヒョンレ以外のメンバーも同様だった。

 

「…」

 

「とにかく時間やしスタジオ入ろう」

 

ヒョンレが防音ドアを開けてメンバーがスタジオブースへとぼとぼと入っていった。みな楽器のセッティングを始める。スチョリは持参してきたローズピアノのセッティングをいち早く終え、いきなり前衛的なフレーズを弾きだした。

 

ガン、ガン、ガンガガン....

 

力いっぱいに弾いた不協和音がスタジオ中に鳴り響く。

 

「ひゃーほほっ!」

 

「ス、スチョリ、どないしたんや!」

 

ヒョンレが奇行に走ったスチョリに動揺した。

 

「ひゃーほほっ、明日ここが戦争なったらもうピアノ弾けんやろ。今日が最後やと思ったら...もう好き勝手弾いたるんや!ひゃーほほほっ!」

 

「ス、スチョリくん…」

 

十夢は苦虫を噛み潰したような、なんとも形容しがたい表情を浮かべスチョリを見つめた。

 

「ウ、ウォェッ!ス、スチョリの、言うとおりかもな。明日どうなるかもわからんし、ウォェッ!」

 

ガンホは涙目でえずきながら、スチョリに賛同するようにギターを目いっぱいかき鳴らした。

 

「アーイッ!」

 

辻がいきなり奇声を発してデタラメにタムを回し、そして思いっきりシンバルを叩きだした。

 

「もう、なんかもう...たまらんすわ!」

 

十夢も神妙な面持ちで、ドラムと同じくデタラメなベースをバリバリと弾き出した。

 

「よ、よっしゃ!今日は思いっきり自由に弾いてええぞ。明日はないかもしらん。後悔せんように思いっきり弾いたれ。ヒーハッ!」

 

ヒョンレもアンプのボリュームをあげ、デタラメなアルペジオを弾いた。

 

「アーイッ!」

 

「ウォェッ!」

 

「ヒーハッ!」

 

「ひゃーほほっ!」

 

「もう、なんかたまらんすわ!」

 

みな、しばらくのあいだ好き勝手に弾いた。力のある限り。錯乱した精神状態だった。誰一人として、規則正しい旋律を奏でる気は毛頭なかった。

 

しかし奇妙なことが起こった。

 

みなトランス状態で演奏をしデタラメなリズムやメロディーを奏でていたはずなのに、気がつけば彼等の代表曲「冬の日の情景」を演奏していた。誰かが合図を出したのか、自発的な行為だったのかはわからない。みなの乱れた精神の波形が寸分狂わず一本の線になったような、今まで感じたことのない一体感だった。誰も説明ができなかった。音を支配したのか音に支配されたのか...。しかしそのどちらでもない、理屈ぬきの充実した高揚感だけがメンバー一人一人に微かに実感として残った。

 

「い、い、いまのなんや…」

 

スチョリは言った。

 

「お、おい、誰かさっきのテイク録音してた?」

 

「ご、ごめん録音してへん…」

 

辻は取り乱してヒョンレに謝った。この言いようのない感覚に、みなしばらくのあいだ言葉を失った。

 



 

ガンホはこの混乱の中、あの感覚がよみがえるようだった。ほかのメンバーも同じ状態だっただろう。それぞれが奏でる音を聞いたガンホは自然とその考えに至った。客も異様な気配を察知したのか、さっきまでの乱痴気騒ぎも幾分か落ち着き、誰も物を投げ込まなくなっていた。

 

曲のプロローグがクレッシェンドになるにつれ音圧が増していき、じわじわと曲線を描くように盛り上がりをみせる。辻のフィルが冴え渡り、十夢が辻と息を合わせるよう指に力を込め、輪郭のくっきりとしたベースラインを弾いた。スチョリは煌びやかで幻影的なピアノを弾く。ガンホは煙草の煙をくゆらすように、レスポールのボリュームを揺らした。ヒョンレのストロークが強くなるにつれ音が一体となっていく。徐々に、徐々に…。

 

そしてそれぞれの音が頂天に達した時、一斉に四分音符で音を放りなげた。

 

ティクタッ、ティクタッ、ティクタッ、ティクタッ...

 

 

<冬の日の情景>

 

真っすぐな昼の日差しを片目にうけて

 

まぶたの裏赤く透けてお日様を睨む

 

いたずらな追い風はマフラーを解き

 

枯れ葉と子供を連れ立って駆けて行く

      

(フゥーウーウー、フゥウーウー)

 

 

辻のコーラスは真冬に吹きすさぶ、郷愁を漂わせた木枯らしのようだった。

 

 

真っすぐな昼の日差しを片目にうけて

 

くわえたショートホープに赤い火をつける 

 

紫色の煙は風に煽られて

 

大慌てで枯れ葉と子供を追い駆ける

 

 

ガンホはアタッチメントのオーバードライブを踏んでギターソロを弾いた。空を切ったピッキングの反動で右手親指のささくれにギターの弦が深く食い込み、そこから血がたらたらと滴りだした。しかしあまりの興奮のせいか、それとは別のことで痛覚があやしくなっているのかはわからないが、お構いなしにギターをかき鳴らした。

 

ガンホは、もうどうでもよくなっていた。

 

ヒョンレ然りそうだった。

 

自分たちが置かれた立場や、これからのことなど忘却の彼方へと消えていた。ただただ音に身を委ねていればよかった。自分の作曲した曲に対しての自負なのか、それに伴った快楽なのか、自分でも説明がつかない浮遊感だけが意識として残った。

 

 

駆けだした夜の静寂に

 

機関車のよう白い息 

 

 

ヒョンレの冒頭のロングレンジの歌声にそって四声のコーラスが輪唱で歌を紡いでいく。しかしどうもヒョンレの声がおかしい。聞きようによっては頭頂部から聞こえてくるようにも思えた。まるで魂が抜けたような超自然的な声だった。

 

 

シグナルのような星屑は 

 

僕を見下ろすよ「すすめ!」という

 

勇み足の影法師 

 

曲がり角で先廻り

 

 

辻の切れのいい虚実裏返すようなフィルでカントリーパートに切り替わる。タッチを強めたスチョリのピアノが、曲のイニシアチブを取りぐいぐいと曲を引っ張っていく。十夢も小気味いいベースで曲に疾走感を与えた。

 

 

朝の褪めた光に 影は鳴りを潜めて

 

溶けだした街に 他人がにじむ そんなふう

 

傾ぐ雨戸から漏れてる 朝はコップからあふれて

 

君の白い胸の上に 虹をかけて見せるのさ

 

 

ヒョンレがダブルチョーキングで始まるギターソロを弾き出した。カントリーリックを多用したガンホのギターソロが後に続く。徐々に曲がオーラスに向かうにつれ、メンバー同士のテンションがぶつかり合う。スチョリは鍵盤を叩くように的確なフレーズを弾く。辻の土気をはらんだドラムに十夢のベースがいなたく絡む。やがてヒョンレとガンホの自我のようなギターフレーズが音の固まりとなってうねりをあげた。みなの音と精神が一点に集中する。徐々に、徐々に…。

 

そしてその固まりは辻のリットしたフィルとともにエンディングをむかえる。辻はクラッシュシンバルを激しく連打した。そして五人の音が寸分違わず一斉に、激しく弾けた!

 

会場に残響音が揺らめく。金網からぽたぽた落ちるビールの滴が聞こえるほど会場は静まり返った。ステージ上のメンバーはお互い憔悴しきった顔を見合い、ぜぇぜぇと息を切らせていた。ヒョンレの肩からはもうもうと熱気が立ち上っている。しばらく耳鳴りがするほどの静寂が続いた。

 

「…」

 

「Ohh! Yeaaaaaaaaah!!」

 

歓声だった。それは紛れもない歓声だった。千切れんばかりの拍手、激しい足踏み、指笛、それらは明らかに好意的なものだった。

 

「ヨシッ!ヨシッ!ヨシッ!」

 

マネージャーの篤は目にいっぱい涙をため、何度も、何度も、何度も渾身のガッツポーズをした。

 

「あっつん...あ、あいつらやりよったで。みんなほんまにすごい!あんな音、は、はじめて聞いた。ヒャッハー!あっつんやったど!」

 

「ア、アル!」

 

篤はうれしさのあまりアルと激しく抱き合った。

 

会場は狂喜の坩堝だった。

 

「Yeah! F●ckin’ Great!」

 

「WRF? Oh, F●ckin’ Good!!」

 

興奮覚めやらぬ観客がステージに向かって少々汚い言葉の賞賛をメンバーに投げかけた。

 

「こいつら、まだ騒ぎよるか…」

 

怒りのあまりに目が据わっているヒョンレがいまいち状況を把握できず、好意で歓声をあげている客をまるで親の敵をみるようにみつめた。

 

「お頭!もう演奏やめまっか?」

 

これまた鬼の形相をしたスチョリが続行するかの是非をヒョンレに確認する。

 

「いや、こうなったら最後までやったる。こいつら...ほんまええかげんにせえよ!ボケ、カス。おうガンホ、いったらんかい!」

 

「御意!」

 

ガンホがそう言うとキッチュなギターリフを弾いた。それを合図として辻のファットなドラムに合わせ、十夢の重低音のスラップベースがギンギンに鳴り響く。

 

 

<まちとまち> 

 

まちを歩けば 聞こえてくるあのメロディー

 

小粋なリズムに 思わず踊り出すレディ

 

 

「今日、なんか、演奏キレッキレやな…」

 

篤が言った。

 

「あっつん、みんなの様子、変じゃない?」

 

アルもメンバーの異変に薄々気付いていたようだった。

 

客はバンドの音にあわせ操り人形のように踊る。好意的な客をよそに怒りにまかせ演奏するメンバー。それはまるで今村昌平監督の『ええじゃないか』に出てくるワンシーンのような騒乱状態だった。

 

 

まちを歩けば 聞こえてくるあのメロディー...

 

 

(つづく)