2018.02.27 tue
**第8章:続・アマルゴーサのならず者**
「Thank you very much. Your right hand, okay?」
(本当にありがとう。右手、大丈夫?)
ヒョンレはキャロルに礼を言い、アームレスリングで痛めたキャロルの右手を心配した。
「大丈夫。サムのジョイント外れただけ。カフが手当してくれた。カフ、アームレスリングのインターナショナルレフリー。簡単な治療OK」
キャロルが驚くことに片言の日本語でこたえた。
「ありゃ、こりゃビックリ!日本語しゃべれるんやね」
全米で誰よりもうまく関西弁をしゃべれると自負するアルが、恐れ入った様子で目を丸くしながら驚いた。
「ロスのジャパニーズタウンの友達に教えてもらった。彼女ティーチ上手だった。だから少し喋れる」
「なるほど。じゃあキャロルのおとうさんかおかあさんも、ひょっとしてジャパニーズ?」
ガンホは片言の日本語に合わせたのか、少々照れながらぎこちない言葉でキャロルに質問した。
「ううん違う。母さんはチャイニーズ。父はイタリアの人」
それを聞いたメンバーは興味を示すようにキャロルを羨望の眼差しで見つめ頷いた。
「しかし、なんで見ず知らずの俺らを助けてくれたの。本当に感謝してるんやけど...」
十夢は自分たちを助けたキャロルの動機について質問した。ほかのメンバーも十夢同様、おおいに疑問に思っていた。キャロルは少しうつむき加減で十夢の質問にこたえた。
「死んだ母さん、わたしの心の中でそうしなさい言ってくれた。母さん、困ってる人見ると助けずにはいられないひと。だからわたしもそうしたの。あと母さん言ってた。同じ肌をしたひとみな兄弟と一緒よと...」
「そうか...」
アルはキャロルに対し深く頷き感嘆のため息をついた。ほかのメンバーもアルと同じように深く頷いた。
「おおきにやでぇ」
ヒョンレがキャロルに深々と頭を下げ、こてこての関西弁で再び礼を言った。
「えっ、おおきなスケベ?」
「い、いや、ちがうちがうオ・オ・キ・ニ・ヤ・デ。ジャパンオオサカ、イントネーション、サンキューベリーマッチ」
「ああ、ありがとうね!」
「イエス、イエス!」
ヒョンレがドギマギしながら、関西で感謝の意を表す言葉<おおきに>を必死になりながら説明した。
「まぁ、あながち間違ってないけどな。ヒョンレはおおきなスケベや」
スチョリがすかさずヒョンレを茶化した。
「ハハハハハハッ!」
キャロルとヒョンレ以外全員爆笑。
「おい、ス、スチョリ、キャロルにいらんこと吹き込むな。キャ、キャロル、俺はジェントルマンやからノープロブレムやで」
「...?」
キャロルはヒョンレの必死の弁明を理解できず可愛げに首を傾げた。
「待たせたな。これは店のおごりだ。さぁじゃんじゃんいってくれよ」
カフが好意的な笑みを浮かべながら、みなが座っているテーブル席に料理を持ってきた。熱せられた鉄板の上で、リブステーキからあふれ出た肉汁がぴちぴちと跳ねている。
「みんなさっきはすまなかったな。キャロルも大丈夫か?」
キャロルがカフの問いかけに一つ頷いた。
「本当にみんなすまなかった」
カフがテーブルに料理を置き、一言そう言うと表情が少し引き締まった。
「ロブはもともとあんなヤツじゃなかったんだよ。まぁ今も昔も無愛想には変わりないがな。あいつの弟が3年前ベトナムで死んだんだよ。それ以来アイツは、人が変わったようにふさぎ込んでしまって、まるでハリネズミの様に他者を拒絶するようになったんだ...」
「In Vietnam?Travel?」
ヒョンレが不可解に思いカフに質問した。その言葉を聞いたアルとキャロルはヒョンレを怪訝そうに見つめる。
「旅行?まさか。そうか...君らには関係のないことだからな。これは俺たちの国の問題だから。俺たちの...」
カフは何か思いつめた様子で遠くを見つめた。
「いいんだ、今のは気にしないでくれ。とにかく本当にすまなかった。ロブも今回の件で相当堪えたようだ。あいつは頑固でシャイなヤツだから直接謝罪はしないと思うが、かなり反省しているよ。これで済むとは思っていないけど、この料理もアイツなりの謝罪と受け取ってほしい。さあ遠慮なくいってくれ。酒のおかわりもな」
カフはそう言うと軽く手を振りながら厨房へと帰っていった。
「いやぁしかし、このリブステーキほんま堪らんな」
アルが肉汁が滴るリブステーキを頬張り舌鼓をうった。
「Yummy!」
キャロルはこの店の常連なのだが、今日のリブステーキは格別な味がしたのか心躍るように声をあげた。
「でもキャロル。あんな大男によく腕相撲で勝ったよな。なんかコツでもあるの?この際、ひ弱な俺らに是非教えてほしいんやけど」
スチョリの疑問に応えたのか、キャロルはおもむろに席から立ちあがり、ひらけたフロア中央に向かった。
「あなた、向かい合って立ってくれる?」
両肩の幅まで足を広げ、自然体で立っているキャロルはスチョリを自分から一歩下がった場所に立つよう指示した。
「あ、あ、俺スチョリ。よ、よろしく」
何か良からぬ雰囲気を察したのか、スチョリはビクビクしながら席から立ちキャロルの指示通り所定の位置に着いた。
「スチョリさん、ですね?すいません、わたしの左のショルダーに掴みかかってきてくれる?」
キャロルは微笑を浮かべスチョリに言った。
その様子に並々ならぬ気配を感じたスチョリは余計に萎縮する。
「こ、こう?」
スチョリはおそるおそるキャロルの左肩を掴もうとした瞬間、スチョリの手をはねのけるのと同時にキャロルが丹田から力を込め一気に気を吐いた。
「はぁっ!」
あろうことかスチョリの身体は、キャロルがスチョリの手を受け流した方へ安易に傾いた。そしてそのまま勢いをつけたスチョリの身体は、まるで微風にあおられ容易に回る風車のように360度回転して掴み掛かった体制のまま何事もなかったように着地した。
「おおっ!」
テーブルで見ていたラリーパパ一行と一部始終を見ていた客がドッとどよめく。
「へ?へ?い、いま、なにがおこった???」
スチョリは天変地異を目の当たりにしたかのような、いったい何が起こったのか全く検討する余地がなく、辺り構わずキョロキョロとおびえた鳥のように見渡した。
「そう、これが答え!」
キャロルがそう言いながら大きく太極を描くようにゆっくりと両手をまわし白鶴亮翅(バイフーリャンチー)の動作に移行した。
「タイツィ!」
ヒョンレが思わず声をあげた。
「That’s right!」
キャロルがあどけなく笑いながらヒョンレに向け親指を立てた。
「なんや、そのタイ、なんちゃらって?」
ガンホが聞き慣れない名称に疑問を抱き、ヒョンレに質問した。
「おう、タイツィは中国語、日本語で言うところの太極拳や。さっきステージにあがってベラベラしゃべってたギプスのおっさんが言うてたけど、キャロルのじいちゃんが太極拳の偉い人らしいで。なんか毎朝組み手をやらされていたとか。ほんでその太極拳を応用して、あのアホほどデカいスキンヘッドのおっさんにアームレスリングで勝ったちゅうわけやな。しかし俺が中国留学してた時に見た太極拳の師範より数段すごいよ、あの子」
「え、チョーさん中国おったん!あんな閉鎖的な共産主義国家によう留学できたな。しかし英語もある程度喋れるし、チョーさんにもビックリさせられるわなぁ」
話を聞いていたアルがヒョンレの遍歴に感心を示した。しかしアルの褒め言葉に対し、ヒョンレが強烈な違和感をおぼえる。
「え、中国が閉鎖的?」
ヒョンレがアルを怪訝な眼差しでみつめた。
「だってアメリカと中国はまだ国交を結んではないんやで。そうか日本はアメリカと違って、もう国交を結んでるんか。にしても、それやったらワシの耳に入っててもおかしないんやけどな?」
それを聞いたヒョンレは、ねっとりとした嫌な汗が額からにじみ出たのを俄に感じた。
「Whaaaat a daaaaay!!!」
「うわっ!」
突拍子もない奇声にみな思わず飛び上がった。みな奇声を発した人物に自然と目がいく。スチョリが立っている場所からそれとなく離れたところで奇声を発した男は、ビーフジャーキーをしがみギラギラ笑いながらこちらを見ている。その男は白いコンバースのスニーカーにハイキング用ショートパンツ、黒縁のレイバンのサングラス、アーノルドパーマーのスポーツシャツとどこかのリゾート帰りの観光客のような出で立ちであった。男はショートパンツから小瓶を取り出しふたを開け、そして胸ポケットから出した星条旗のハンカチに小瓶の液体を染み込ませると、それを鼻口にもっていき勢いよく吸い込んだ。
「ンカッ...ンガッ...カッカッカッ...」
「うわぁ...」
明らかによからぬ薬物を吸い込んだと、みな男の状態を見て確信した。レイバンのサングラスから見える男の眼球は裏表ひっくり返るように白目をむき、半開きになった口からはしがんでいたビーフジャーキーがポトリと床に落ちた。
「うわぁ...」
みなこの行為に引きながら、再び溜息をついた。薬の効果でさっきより広角があがり気味悪くギラギラ笑いながら、男が畳みかけるようにまくし立てる。
「君たち、ほ、本当に素晴らしい!もう、なんて言ったらいいんだ!こんなショーをこんな片田舎でするもんじゃない。わかっているのか君たち!ベガスで興行をうったらウン千万稼げただろう。こないだ見たデビー・レイノルズのショーなんかひどいったらありゃしない。君たちのショーのほうがよっぽど価値あるものだ。君たちの演奏、そしてアームレスリングの試合。こんな組み合わせ誰も思いつかないだろう。特に君たちの演奏だ。申し訳ないが日本のロックはたかが知れていると高をくくっていた俺が恥ずかしい。くそっ、なんでこんな時にヤンはいないんだ。役立たずめ、ベガスの滞在費を全額請求してやる。しかし、ああ、なんだこの高揚感は。まるで60年代のシスコにいる気分だ。ジェファーソン・エアプレインのギグで初めて試したLSDを彷彿とさせるこの高揚感。な、な、なんてことだ...」
「......?」
みな男の話についていけずに呆然としている。
「ンンッ!失礼、少々興奮してしまったようだな。わたしはこういう者だ」
男はそう言うと近くにいたスチョリに名刺をわたした。スチョリは受け取った名刺を軽く目を通しただけですぐにテーブル席のアルに手渡した。アルは丸メガネを額まであげ、受け取った名刺を目の前までもっていき、しげしげと見てつぶやいた。
「えっと、なになに。ハンター...…S...…トンプソン?」
「ア、アル、いまなんて?」
篤が身を乗り出してアルに迫った。
「うん?だからハンター・S・トンプソン。フリーのジャーナリストてなってるけど」
「ひやぁぁぁ...」
篤が再び男のほうを見ておおいにのけぞった。
「あっちゃん、どないした?」
ヒョンレがいきなり席から立ち奇声をあげてよろめく篤を心配した。
「あ、あ、あの、ラリーパパの皆さん。あっちのテーブル席で、ちょっと話があります」
「えっ、なんの話?」
「さっきのライヴがちょっと...」
辻の問いかけに、篤はお茶を濁すような話し方をした。あやふやな物言いにどうも要点をえなかったのか、みな戸惑い席を立とうとしない。
「おまえら、はよ立てや!」
篤はメンバーに向かっていきなり怒声をあびせた。
「ええっ!」
みな動揺して声をあげた。
「あ、あっちゃん、ど、どないしたん?」
「うっさい天パ。はよ立て」
「ええ…」
いきなりの怒号におびえながら質問した十夢に、篤は強烈に睨みを利かせながら席を立つよう命令した。
「アル、あそこのテーブル席でさっきのライブの反省会するわ。だからちょっと席を外す!そこの三木のり平もはよこい!」
篤はスチョリにも怒声をあびせた。
「あ、あっつん?」
「あのひと、ひとが変わった」
アルとキャロルも篤の言動に圧倒されたようだった。
マネージャーの篤に言われるがままにラリーパパ&カーネギーママのメンバーは壁際のテーブル席へとついた。先ほど篤の尋常じゃない怒声を踏まえ、たぶんライヴのダメ出しを言われるのだろうと推測したメンバーは思わず身を構えた。
「あの、ライヴなんですが...」
「......」
篤の第一声にみな固唾をのんだ。
「ライヴは...めっちゃよかったです」
「へっ?」
メンバーは肩すかしをくらったように気の抜けた声を出した。
「いや、ライヴは全然問題なかったんです。むしろ今まで見てきたなかで今日のライヴが一番でした」
「じゃあ、なんで怒鳴ってまで僕らを集めたん?」
辻は篤を問いただした。
篤は顔を伏せ、先ほどみなの前に現れた謎の男に目をやりながら、粛々と事のいきさつを語りだした。
「はい、実はこうして集まってもらったのは他でもない、いきなり現れたあの禿げ上がった男のことで話しておきたいことがあって…さっきアルが名刺見て名前言うたでしょ。ハンター・S・トンプソンて...」
「確かにアルがそんな名前を言ってたね。うん、ほんで?」
「あの、昔ジョニー・デップが主演した映画で『ラスベガスをやっつけろ』て映画があったんですが、みんな知ってます?」
「おう、なんかそんな映画あったような...ひょとしたら見たかも?」
ヒョンレが過去を振り返りながら天井に目をやった。
「はい、その映画の原作者がハンター・S・トンプソンなんですよ。あの風貌は間違いなくハンター・S・トンプソンそのひとです。ハンター・S・トンプソンはフリージャーナリストなんですが、1971年にラスベガスで行われたミント400ていうモーターレースの取材を通じて、ラスベガスの滞在期間に起こったトラブルやドラッグのトリップ体験、それら諸々を題材にして書いた小説が『ラスベガスをやっつけろ』なんです。それが70年代のアメリカで大ベストセラーになって。日本ではそんなに話題にはならなかったんですが、でも僕あの人の小説が好きで『ラスベガスをやっつけろ』や他に違う作品も何冊か読んでてもってるんですよ」
「えっ、あのおっさんそんなに有名なん?」
スチョリが興味を示すように篤に言った。
「はい、アメリカでは超がつくほどの有名人でしたね。実はああ見えて1976年のアメリカ大統領選でジミー・カーターを大統領にした陰の立役者とも言われているひとなんです。でも僕が言いたいのはそんなことじゃなく...」
「そんなことじゃなく...」
篤が言葉を詰まらせた。篤は取り乱した呼吸を整えるように深く息を吸い吐いた。幾分か落ち着きを取り戻した篤は再び話を続ける。
「今日の素晴らしいライブですっかり忘れてましたが、僕ら博多から東京に向かってた途中で、いったい何が起こってこうなったのか、いまアメリカのネバダ州にいてるんですよね。みんな薄々気づいていると思うんですが、ここどう見ても日本じゃない。そしていま西暦何年なのか?アルが言ってましたが、いま1971年だと言ってましたよね。あのひとが現れてこれではっきりとしました。現時点で確かに言えることは、いま僕たちがいるのは確実に2016年ではないということです」
「.......え、え?」
メンバーはおおいに戸惑い絶句した。
「ハンター・S・トンプソンは……」
篤がぐっと唾を呑みこんだ。
「ハンター・S・トンプソンは2005年に亡くなりました」
「ふーん…死んで......…えーっ!?」
(つづく)