2019.01.23 wed

 

 

**第13章:ある日、森のなか**

 

 

「おう、ル、ルースか。ワシや!」

 

「アル、生きてたのね。あれから3日も経ってるのよ。いままで何処でなにをやってたのよ!私はてっきり...」

 

受話器から漏れたルースの怒号にも似た声が電話ボックスの中で鳴り響く。

 

「おう、ワシもなにがなんやら...ワシがグルームレイク基地から出たんがバレてたんや。なんでや、なんでバレたんや!」

 

「そんな...ま、まさか」

 

ふたりはしばらく沈黙する。

 

「アル、今どこにいるの...」

 

「何とか軍の検問を突破して今はセコイア国立公園のキャンプ場におる。連絡が遅れたんはほとぼりが冷めるのを見計らってやな...」

 

「わかった。もうそんなに時間がないのよ。ハーマーの情報も掴めたし、今のあなたの状況を考えると下手に動かない方がいいわ。私がそっちに行く」

 

ルースは語気を強くして言った。

 

「あともう一つ言っておきたい事がある……同行者が一人増えた」

 

「え?」

 

「その子のおかげで検問を突破できた言うても過言やない。日本からきたバンドの車が故障して、その子のトレーラーの貨車に車を積んでみんなでここまで来れたんやけど…」

 

アルが口ごもり、しばらくの間沈黙する。そして再び重い口を開いた。

 

「見られたんや……目の前で」

 

「なにを?……」

 

「物質瞬間移動を目の当たりにしたんや…」

 

「何ですって!」

 

ルースが絶句した。

 

「ワシが簡易的に作った装置でトレーラーごと検問所を突破したときに彼女がトレーラーを運転してて、ワシは助手席におったんや。日本からきたバンドのみんなはトレーラーの貨車におったから気づいてないんやけど、瞬間移動の一部始終をそばで見てた」

 

「……」

 

ルースは一時的に言葉を失った。

 

「決して悪い子じゃない、信じてくれいうのも変な話やけど信用できる人間なんや。口外しないでほしいと固く言ってるし……」

 

ルースがアルの話を遮るようにたたみかける。

 

「いえ、見られた以上如何なる人であっても信用しきれないわ。アル、女の子ね?」

 

「ああ…」

 

アルが力なく返事した。

 

「名前わかるかしら?」

 

毅然な態度を取っているとはいえ、ルースの声はいささか冷ややかなものだった。

 

「キャロル・リーていう子や。普段はトレーラーの運転手をしてる」

 

「キャロル・リー?聞いた名前ね。ああ、思い出した。確か地元のスポーツ誌の一面で見たと思う。世界アームレスリング女子の部史上最年少にして最軽量でチャンピオンになった子。綺麗な子だからハリウッドに行くんじゃないかと一時噂になったほどだわ」

 

「そうや、寄った食堂で一悶着あったけどキャロルがアームレスリングの決着で解決してくれたんや。そらべらぼうに強かったで」

 

アルが自慢げに話した。

 

「ええ、そんなことはもうどうでもいいのよ。こうなった以上、キャロルも私達と一緒に行動してもらうわ。日本のバンドの人たちは私が着いた時点でお別れね。とにかくアル、一刻を争うのよ。今あなた達がいる場所を詳しく教えてちょうだい」


*****

 

「しゃあけど、アルの自転車乗ってる姿はまるでボリジョイサーカスの熊みたいやったな」

 

持参した自転車で買い出しに行ったアルの姿があまりにも珍妙に見えたらしく、スチョリが含み笑いをしながらみなに言った。

 

「ハハ、ほんまやな、なんかちんちくりんな格好やったで。なあキャロル!」

 

「かわいい......」

 

ガンホの問いかけにキャロルが一つつぶやいた。

 

「かわいい?アルが?」

 

「え、いや、川沿いを下ったのかしら?」

 

「はぁ......」

 

キャロルが咄嗟に濁した言葉にガンホは首を傾げた。

 

「しゃあけど、あの自転車どういう仕組みなんや?組み立て式の小さい自転車やったけどロードバイク並に早かったで」

 

ヒョンレの疑問はみなの総意だった。

 

「ほんまや。別にモーターがついてる感じもなかったけど、ヘタしたら50ccバイク並の早さでしたよ。僕らの時代にも......」

 

「んんっ」

 

ガンホが咄嗟に咳払いをして十夢を睨んだ。

 

「あ、その、日本にもあんな自転車はないです......」

 

十夢の言葉が尻すぼみになった。キャロルがいる手前、ラリーパパ一行の素性がバレるキーワードは絶対にNGである。

 

「ところで辻くんは?」

 

「ああ、なんか薪を拾いに行く言うて森の奥の方に行ったで」

 

ガンホが仄暗い森の方を指さし、スチョリに言った。

 

「しゃあけどボンはほんま単独行動が好きやな」

 

ヒョンレも森の方へ視線をやった。

 



 

「お、ここにもどんぐり。これは珍しいな。日本にはないどんぐりや!」

 

辻が左脇に薪を抱え、屈みながら柔らかく豊穣な土の上で横たわる木の実の類を拾っていた。

 

「ハハ、こんな珍しい木の実見たら、樹里が「とうちゃんすごい!」とか言うて喜ぶんやろな......」

 

そう言いながら一握りの木の実をオーバーオールの胸ポケットに入れた。

 

「樹里...喜んでくれるやろうな......」

 

歩くのをやめて立ち止まった。

 

「樹里...樹里...」

 

辻は娘の名前を何度もつぶやきながら溢れる涙を拭った。

 

「もう、会えないんか?......樹里に……会いたい。会ったらいっぱい頬ずりしたい。お髭さん痛いわ言うくらい……」

 

辻は頬を伝う涙で濡れた無精髭に触れ、かぼそい声でそうつぶやいた。しばらくのあいだ一人でいる時間が皆無だったせいか、辻は自分がいた時代のことに気が回らなかった。バンドで行動をともにしていた時はいつもそうだった。なぜかバンドで行動すると世間一般の常識やモラルといった自覚が希薄になりがちで、往々にして社会通念の箍がはずれていた。そのせいかプライベートで起きたいやな出来事などはその都度ごとすっかりと忘れ音楽に没頭できたのだった。

 

昔、こんなことがあった。

 

アルバムのマスタリングの際、マスタリングという作業そのものに対してメンバーはいまいち理解しておらず、ミキサー卓の前で作業をしているエンジニアの後ろでわーきゃーと騒いでいた。マスタリングとはいわばアルバム制作における最終段階のようなもので、各曲の音のバランスを整えたり曲のつなぎ目を決めるのに伴ったフェイドイン・フェイドアウトを細かく決めていったりする作業である。そんな重要な作業にもかかわらずラリーパパ&カーネギーママのメンバーはマスタリングの存在意義に対する勉強不足とはいえのっけから騒いだ。それがあまりにもひどく騒ぐもんだから、たまりかねたエンジニアが振り向きざま「いい加減にしてください!」と怒鳴るほどであった。

 

怒鳴られたメンバーは一瞬ポカンとして騒ぐのをやめるのたが、しかしみな別段悪びれる様子も無く「だって、あんまりわかっておりませんし」とか、マスタリングを理解してないのにもかかわらず「せっかくなんでじゃんじゃんマスタリングしてくださいよ」と嘯いたり「よかったらキットカットどうぞ」などいらん気遣いをみせ、平然と火に油を注ぐような行為をするのであった。あげくエンジニアは怒りを通り越して白目をむきながら呆れかえった。

 

とまあ、こんな具合だから何人もの業界人がバンドに対して怒りに身を震わせることもしばしば。つまりそういった世間のしがらみやら常識とは無縁な感覚に陥るというか、ちゃんと出会った人に敬意を払っているつもりであっても若さゆえの無知のせいで悪ふざけや粗相を平然とやってのける、男子が徒党を組めばなんとやらか、とどのつまりロックバンドとはそういった存在なんだろうか?

 

そう、たとえタイムスリップという訳の分からない状況であってもその感覚が身に染みている辻は、メンバーと一緒にいることで幾分か気が紛れていたかもしれない。しかしいくらいい加減なバンドであっても、みなと離れると一個人に過ぎないのである。そして束の間であっても一人の父親という立場に身を置くと、ことのほか娘を想う気持ちが強くなり、その想いが轟音とどろかす波となって押し寄せ、辻のセンチメンタルな部分をおおいに刺激したのであった。 

 

「あかん、一人でおったら、胸が張り裂けそうや......」

 

そうつぶやくとキャンプ場の方角へと歩を進めようとした。

 

「グルルル......」

 

生臭い匂いと異様な気配を感じた。

 

「グルルルルル.......」

 

人ならざる気配だった。

 

「.........」

 

辻はゆっくりと背後へ振り向いた。数メートル先に巨大な熊が身構えている。今にもこちらに向かってくるようにみえた。何歩か後ずさりしたのだが、あまりの恐怖に腰を落として座り込むかたちとなり身動きがとれなくなった。

 

「あ、あ.......」

 



 

熊はゆっくりと辻に近寄ってきた。そして空気を震わすが如く、大きく喉を鳴らした。

 

「グルルルル……」

 

熊は捕食者の風格を露わにするように牙を剥き出し、そして野生動物が時折みせる想像しがたい瞬発力で辻に向かった。

 

「あ、もうあかん......樹里!」

 

辻は恐怖で緊張した喉を振り絞るかのように叫んだ。

 

その瞬間......

 

ドンという大口径特有の鈍い銃声が二回昼間の闇深い森に木霊した。熊はこの森が猟区のせいなのか、その音が銃声と判断するや否や、本能的に突進するのをやめ、きびすを返すように早々に立ち去った。

 

「大丈夫か!?」

 

暗がりから声がした。辻は声が聞こえる方へそっと視線をやる。

 

「おい、お前......」

 

辻は銃を持って近寄ってくる男の顔を見上げた。

 

「ああ.......」

 

辻は言葉を失った。

 

「おい、怪我はないか?」

 

男は頬にびっしりと生えた髭を触りながら辻に質問した。

 

「あ、あ、リヴォ.........」

 

腰を抜かして座り込んでいる辻の前に現れた男は、辻がドラムを叩くうえで試金石となり、そして目標でもある尊敬してやまないミュージシャン、ザ・バンドのドラマー、リヴォン・ヘルムその人であった。

 

「あ、その、あの......ジャス、ジャス、ジャス......」

 

辻はあまりの畏怖の念により簡単な英語すら頭に浮かばなかった。

 

「あ、あ、ちょっと待ってて......」

 

「なんだ?」

 

リヴォンは辻が言った言葉が理解できずしかめた顔で聞き返す。辻はようやく落ち着いたのか、ゆっくりと立ち上がりリヴォンに両手をかざしながら「リヴォン、ちょっと待ってて......」と言うとみながいるキャンプ場へと全力で駆けていった。

 


 

「おーい!リヴォン。何があったんだ!銃声が聞こえたぞ!」

 

ロジャーがテンガロンハットを右手に持ち、心配な表情をしながらリヴォンの方へ駆け寄った。後に続くようにジェシ、ケイ、そしてビフやラルフもリヴォンの方へと駆け寄った。

 

「え、ああ。いやな、これには訳があってだな。さっき東洋人がえらくデカい熊に襲われそうになっているのをだな......」

 

リヴォンが意気揚々に話し出した。

 

「うん、そうそう。それを見かねたこの俺がだな、勇猛果敢に空めがけてコイツをぶっ放したのよ。そしたら熊チャンと来たら、しっぽを巻いて逃げ出したんだ。まあ、こう言っちゃなんだが、この俺の気迫で追い返したようなもんだけどな」

 

「ほう、それでその東洋人は今何処にいるんだ?」

 

ジェシがリヴォンの武勇伝に対して微塵も興味を示す様子が無く素っ気ない態度で質問した。

 

「え、ああ。なんか俺の顔を見るや否や、ぶつぶつ言いながらあっちの方角に走っていったぜ。たぶんこれも俺の気迫のせいだな」

 

「そりゃそんなもんぶっ放したら誰でも逃げるぜ!」

 

ジェシがリヴォンの右手に持ったS&Wを指さして呆れながら言った。

 

「いや、でも感謝の言葉ひとつくらいあってもいいだろうに。しかし妙だな、確か俺の名前を言ってたような。まあ俺も有名人だもんな。えーと、なんて言ってたっけ?チョットマッテテか?なんかそんな言葉を言ってたような。ロジャー中国語かなにかか?」

 

「いや、それは日本語だよ。訳すと Just a moment だ!」

 

ロジャーが空を見上げ、何かを思い返すように言った。

 

「ん?何で俺が待つんだ?」

 

リヴォンが首を傾げた。

 

「さあ、何でだろう?」

 

ロジャーもリヴォンの疑問に呼応するように首を傾げた。

 

「さすがはロジャー!物知りね」

 

ケイがロジャーに尊敬の眼差しを向ける。

 

「ああ、軍にいた時、赴任先の韓国の仁川から休暇を使って何度か日本に行ったことがあるんだよ。簡単な日本語なら今でも覚えているよ」

 

「まあ、そうなの!私もいつか日本に行ってみたいわ。それにしてもロジャーはインテリジェンスよね。それにひきかえ、この髭親父ときたら.....」

 

ケイが軽蔑の眼差しをリヴォンに向けた。

 

「なんだよ、俺は彼を救ったんだぞ。そんな目を向けられるのは心外だな」

 

「だけどよう、リヴォン。おまえションベンすんのにいったい何処まで行くんだよ」

 

「いや、あれだ。なにがデカいもんで、つい......」

 

「ほら、すぐこれだもん......」

 

ジェシの問いかけに答えたリヴォンの言葉にケイは両手を上げ、呆れ返った。

 

「ケイ、でもリヴォンはすごいドラマーなんだよ」

 

ビフがリヴォンをすかさずフォローした。

 

「おお、我が同士よ」

 

感極まったリヴォンがビフに抱きついた。

 

「ハハ、何やってんだよ、そこの二人。さあ、この国立公園も久しぶりに満喫したし、もうすぐ次のホテルのチェックインの時間だ。そろそろおいとましますかね」

 

日が傾き始めた空を眺め、伸びをしながらジェシが言った。

 

「ああ、車に戻ろうか」

 

ロジャーがなにか思うところがあるように、何気にキャンプ場の方を見つめた。