思えば、ライヴ中によくトイレ行ったなぁ。ヒョンレや辻君がMCしてる隙をねらって。
特にバナナホールはステージの隣がすぐ楽屋やから有難かった!
ロジャーとの東京公演は忘れられへんわ。ああ、これでロジャーとお別れか…
と思うと涙がでてきた。昨日の事のように鮮明に覚えてる。
ロジャーは地元(タルサ)のラジオ出演の時もラリーパパの曲をかけてくれてた。
嬉しいなぁ。元気にしてるかなぁ。
・一番思い入れのある楽曲?
・記憶に残るライヴ?楽しかった記憶?嫌な記憶?
・記憶に残る出来事?ハプニング?
そんな感じで、各自めいめいコメントよろしく!!
(※2010年の再結成時に公開したコメントです)
記憶に残るライヴ −Memory of Live Performance−
記憶に残るライヴといえば…やはりロジャー・ティリソンとのツアー、
特にバナナホールでのライブですね。
たしか1曲目が「ダウン・イン・ザ・フラッド」だったと思うんですが、
出だしのスライドギター弾いた瞬間、歓声が上がったのを今でもはっきり覚えています。
ロジャーとの演奏は僕にとって財産です。
彼の朗らかな人柄、子供のようなキラキラした瞳は一生忘れる事はないでしょう。
もう一度あのスライドのフレーズを弾ける日を心から望んでいます。
ありがとう!ロジャー。
あと、つい先日なんですが、レインボーヒル、BYGでのライブは本当に嬉しかったなぁ。
またこの5人でライブ出来るとは思ってなかったんで、本当に感無量でした。
特にヒョンレ氏がノリノリで、彼が一番再結成を喜んでたんではないでしょうか。
ともかく、この5人で演奏するのは純粋に楽しい!
心斎橋タワレコのインストアライブかな?最初で最後やと思うけど、親父が見に来て、
演奏が始まった途端、エスカレーターで上にあがって行った。なんか照れたんかな?
ピアノが転がった!て夜が何回かあった。 初期の京都磔磔と初期のレインドッグス。
自分じゃないような感覚、あのときは興奮した。 フジロックの思い出は、短パンにパーカー、
民宿から借りたトイレのサンダルでやったのをよく覚えてる。過酷やったな…。
僕はベロンベロン@バナナホール!あれは忘れられません…。
バンバンバザール、双葉双一らをゲストに招いての自主企画イベントで
みんな本番までに飲み過ぎちゃって、泥酔状態に。
その上、めちゃくちゃ緊張しているという最悪の状態で、最悪の 演奏を披露した最悪の日。
ステージフライト。チャンスに弱いバンドでした…。
あとはやはりロジャー・ティリソンとのツアーでしょうか。ロジャーに会いたい!
あ、鈴木茂さんとの横浜でのセッションも楽しかった。
ああ、フジロックのとき、僕40度の熱出ててフラフラやったなぁ…。
一番は…やっぱり僕は…あがた森魚さんのバックをみんなでやった京都造形大の学園祭ライヴかな。
はちみつぱいになりきって演奏した記憶。
11月3日なのに真冬並の寒さになって、手がかじかんだりして… 本当の「大寒町」やった(笑)
あがたさんとの出会い、かなり大きいです。 影響受けまくりました。
24~5歳くらいで多感な時期でした(笑)
一番最初の関東ライヴは高円寺2本と福生だったと思うんですが、福生からの帰りに道がわからなくなってしまい、
最終的に都内まで戻ってから高速にのって、とても時間がかかったことかな。
記憶に残るライヴ?楽しかった記憶?嫌な記憶?フジロックかな。
前の某バンドが押して押して(笑)10時間くらいかけて行ったのに3曲しか演奏出来なかったのが良い思い出です…。
思い入れのある曲 −My Favorite Song−
「冬の日の情景」
1stが出たころ、京都磔磔で演奏した時にさっきスチョリ君が言った「演奏が転がる感じ」を初めて体験しました。
僕も「冬の日の情景」ですね。
数多のバンドの中で、これほどエキセントリックな曲を持ち曲としているバンドはいないでしょう。
僕らの中で組曲と呼びあってるんですが、正にラリーパパ組曲、僕らがやりたい音楽がギッシリと詰まった一曲。
エキセントリックということでいえば…僕はスチョリ作の「おしまい」に一票。 信じられないくらいテンポが遅くて、
10分以上ある、ビートルズでいうなら 「レボリューションNo.9」的なラリーパパにおける異色作?
というか問題作?アコーディオンがええ感じで…これハルモニウムでもよかったかも。
遠いどこかにつれていかれそうになる…隔世感のある楽曲です。
こういう曲もやるところがラリーパパってええバンドだったんだなーと。
この曲については以前ブログにも書きました。
1stの「風に乗って」かな。シンプルな歌詞にシンプルなメロディ。さよなら、って言葉も含め大好きです。
あと番外で「あの空は夏の中」のイントロ好きなフレーズを詰め込んだ渾身のイントロ(笑)
トムくん、「おしまい」のハルモニウム、頭にはあったんやけどよいハルモニウムに出会わなかったのだよ。
「おしまい」おれも好きやわ。
「黒猫よ、待て!」かな?スチョリが久々にロックな曲を書いてきて、満場一致でこの曲で
事務所主催のレコード会社へのプレゼンライヴで勝負しようと。でも発表のギリギリまで歌詞がなかった。
発表の前日までなかった。東京に向かうツアー車のなかで、コンセプトを決めて、到着後すぐリハーサルで、
他のメンバーが練習してる音を聴きながら、歌詞を考えた。次の日はプレゼンライヴで。
マネージャーや、事務所の偉いさんが見守る中、漫画家か文筆家みたいな気持で書いた。
知恵熱が出るくらい集中した甲斐あってか、自画自賛ですけど、ええ歌詞が書けたと思う。
僕の中での主人公のイメージは、つげ義春の漫画に出てきた、黒いコートを着て最後には鳥になって飛んでいくおじさん。
四角い鞄を持って、誰もいない真夜中の交差点の「止まれ」の文字で立ちつくす…
で、プレゼンの結果?はおわかりですね。
ボーカル二人とも、歌い合わせを詰めてし過ぎてのどを壊しましてん。どんなオチやねん。
ラリーパパとは −What's Rallypapa?−
うーん。なんやったんでしょうね。コトバにしにくいですが。
自分がとても情熱を注ぐことができたバンドです。
あのね、クラブ活動とかボランティア活動とかね『○○活動』ってあるでしょ。
そういうの若いうちに真面目にやってたらけっこう社会に出てからも
役立つことけっこうあるんだなって今、グラフィックデザイナーという仕事に生かせてるなって実感してます…。
バンド活動を通じてたくさんの人にお会いできて、友達もたくさんできて。
お世話になった人ご迷惑おかけした人…なんか…いろいろ。記憶もあいまいなんですが…。
今回の再結成で思い出したことたくさんあります。ラリーパパやってて、楽しかったんだなーと思いました。
…また、機会があれば、やりたいです。音楽は死ぬまで続けていくと思う。
好きだから。音楽に感謝。ありがとう。
もう歳もおっさんほどになってしまったんですが、一言で言うなれば、我が青春とでも言っておきましょう。
僕の人生でこれほど濃い時期はなかった。ありがとうラリーパパですよ、本当に。
青春です。それを今回再結成をしたときに確信しました。男5人が毎日のように集まって同じ目標を歩む。
なかなかそうないことだなと。 スタッフがついてくれるまでが長かったので、
何が起きても自分達で解決してく様がそう感じさせたのかもしれません。
ラリーパパってなんやろね。いろいろ経験させてもらった。 いろいろ勉強させてもらって。
たくさんわがまま言って。たくさん迷惑かけてすんませんでした(笑)
グループとしての活動はソロとしての今の活動にすべてが活きている。
ラリーパパなくして「スチョリ」は存在しない気がする。
いま歌うことが楽しくて仕方ないのはラリーパパのお陰。
感謝やで!感謝しておりますんやで!
解散後、お前がラリーパパなんやから!と言われて、ハッとしたことがあった。
5人でラリーパパで、5人の音楽がラリーパパやと思っていたから解散した訳やし。
やっぱり今も、そう思う。5人が集まればいつでもラリーパパ。きっと今後も。
余談ですけど、いつからか、それを口実に責任まで5等分して、自分に言い訳していた。
それが失敗の原因やとも思う。リユニオンは、そういう点もちょっと改善された気がします。
大人になって負うべき責任が見えるようになっただけやけどね。