2014年7月12日(土)第1回「タルサの土を踏む - Go to Tulsa」


 

今日、僕は10年以上前に初来日し、昨年惜しくも亡くなったロジャー・ティリソンの墓参りに行く。彼が奥さんのジャッキーと生前一緒に住んでいた家へ。海外に行くのは恥ずかしながら初めてで、しかも一人旅になる。不安と期待が入り乱れた出発の朝、ロジャーと過ごした東名阪ツアーを思い出しながら僕は家を後にした。

 

712日。上本町から伊丹行きのシャトルバスに乗る前、BARペヨーテのマスター・よしき君が見送りに来てくれた。よしき君はもう20年近くの付き合いがあり、初めて海外へ1人で行く不安そうな僕を見兼ねて見送りに来たのだろう、「リラックスしなよ」と買ってきた缶ビールを飲みながら、よしき君がタイでの長期滞在の話をしてくれた。

よしき君曰く、滞在期間いろいろあったそうで、国は違えどそれぞれの文化のカラーに合わせていけば何の問題もない、むしろ無理して警戒すれば返って疎外される、フレンドリー精神を忘れず、とかなんとか、そんな内容の話を10分程してバスが来るのでそれじゃ行ってくると挨拶し、キャリーを引きながら僕は停留所までとぼとぼと歩いて行った。

 

程なくしてバスは阪神高速豊中方面を走り抜け左に視線を傾けると、伊丹空港がぼんやりとだが見え始めてきた。さほど時間をかけず僕の視界を塞いだこの空港は、その昔国際線があったとはとても思えないくらい古めかしく、どこか侘しさすら感じられ、今とは比べようもないほど航空機が行き交いし、空港内のロビーには人が溢れ活気に満ち、ビッグ・アーティストたちが来阪した際は取り巻きでそれはそれはもうお祭り騒ぎだったんだろうなと思うともどかしく、これから遠くへ旅に出へようとする僕の心に焦燥感さえ薄っすらではあるが芽生え始めたように感じられた。

伊丹空港に着いたのは午前1130分過ぎだった。チェックイン・カウンターで航空チケットの発券と荷物を預けた。しばらくして水田十夢君の家族、citymusicの柳本篤君が空港まで見送りに来たので、もうお昼だし飛行機が見えるテラスで食事でもしようとなった。僕らは何故かエレベーターを使わず階段で最上階まであがり左、左に行くとイタリアン・レストランがあったので、そこのオープンデッキでビールを飲みながら食事と決め込んだ。

 

しばらくするとテーブルに料理が並べられ、航空機を見ながらポツポツと食べ始めると、向かって斜めに座るトム君の息子・一虹は、初めて見る生の飛行機を目の当たりにして終始無邪気な笑顔を浮かべながら飛び跳ね、娘のほのかちゃんは見知らぬ大人がいたせいか女の子らしく可愛くはにかんでは見せるもやはり飛行機が離着陸する度に子供らしく飛び跳ねた。

そんな牧歌的でほのぼのした光景を見ながら、ビールを飲んでいるせいもあるが僕の気持ちが段々と少しずつではあるが落ち着き始め、これから行くオクラホマ州タルサもこんな光景がそこかしこに見られるごく自然な風景のように、ただただ同じ人間がそこで普通に生活してるのだと思うと次第に勇気さえ湧いて来たりもした。

 

料理も食べ終わる頃、jonomaiの大間知潤君親子も見送りに駆けつけてくれて、そろそろ成田行きが出発するのでレストランを後にして向かった。成田行きセキュリティ・ゲート前で暫し別れの挨拶を交わした。

 

頼み事がある、と今回の僕のタルサ行きをサポートしてくれた最大の厚労者である柳本君から「行く先々で撮りまくってくれ」とデジカメを託され、潤くんからは何故かは分からないが村上龍の小説「アメリカンドリーム」を旅の餞別に貰い、温かくもどこかプレッシャーも感じる見送りに感謝しつつ僕はセキュリティ・ゲートを皆に手を降りながら入って行った。

午後235分成田に到着した僕は出国手続きを終え、午後620分成田発ダラス・フォートワース国際空港行きの便に乗り、12時間かけて着いたのは現地時間同日の712日の午後450分だった。預けた荷物をリチェックするため受け取り場までそそくさと歩きながら辺りを見回すと、やはり日本の空港と勝手が違う。明らかに感じる違和感と日本語は皆無であろう色んな国の色んな言語が飛び交う中、リチェックを終えた僕は憧れの地に辿り着いた余韻もどこ吹く風、不慣れなというか全く初めての入国審査場までほぼジョギング・ダッシュの早さで歩いた。

 

入国審査を受ける観光客がズラリと並んだブースには、初見で見た限り2種類に別れていて、アメリカン・シチズン、ノー・シチズンのブースに別れていたように見えた。僕は自ずと後者の方に並ぼうとすると「何処から来たの?」と流暢な日本語が聞こえた。久々の日本語に不意を突かれ慌てて振り向くと、僕が首にぶら下げた緑のパスポートを見るや否や「 Where are you come from? 」と凛とした声で問いかけてきた。

 

ビクッとした僕は一瞬の出来事で明後日の方向に向かっていた目線をようやく声を発した方に合わせて見てみると、初老はとうの昔に過ぎた、白髪の髪を後ろに束ね、やけに背筋がシャンとした日本人であろうアメリカン・エアラインの制服を着た女性アテンダントが、ツカツカとこちらに向かってくるので慌てて「おっ大阪から来ましてん。」と素っ頓狂なことを言ってしまった。これが今からオクラホマ州タルサに行く男のセリフかとヘタレな自分に内心嫌気が差した。

 

立て続けに「あなた、ESTAは申請したの?(アメリカ電子渡航認証システム)」と何処かで聞いたフレーズにすかさず、「はい」と答えると「じゃあ、あの黄色いラインに並んで」と指さされた方を見ると全然混んでいない、焦って確認できなかった3つ目のブースだった。間違えて並ぼうとしたブースはというと長蛇の列で、僕の回までは相当な時間を要するのは目に見えて明らかだった。

 

無事に入国審査を終え、僕を正しい方に導いてくれたあの女性アテンダントに心から感謝しつつ、向かう先は午後740分発タルサ国際空港行きAA2324便。発着ターミナルはA-15。色んな人から片言の英語ではあるが聞いた結果、A-15まで行くには8番乗り場から出ているバスに乗りなさいとのことで、迷いながら停留所にやっとこさで辿り着くとタイミング良くそのバスは来た。

 

運転席から出てきたのは、割腹のいい中年の黒人男性。右手にライターとタバコを持ち、吸いたい気持ちを抑えきれないのか、停留所近くの灰皿が付いたダストボックスにでっぷりした身体をゆらしながら小走りに向かって行った。そのさまを見た僕は早くターミナルに行きたい一心で彼のその行為を咄嗟に制止するように空港パンフを指差し、「A-15行きバスですよね?」と尋ねてしまった。まぁでも吸うんだろうな、少しくらい待とうと思った僕の憶測に反して彼は、タバコとライターをパツンパツンのズボンのポケットに無理くりねじこみ、バスを指差し一言「乗れ」と言い残し、運転席の方に向かって行った。

 

バスに乗って彼が運転席から「兄ちゃん、どこのターミナルだったっけ?もう一回パンフ見してみな」と多分だけど言っていたような、手の甲を向けながら人差し指をクイクイ動かして僕に運転席の方に来いと促した。僕はパンフのA-15を指差し、彼は「よし、任せな!」とアクセルを踏んで面舵いっぱいと言わんばかりにハンドルを切った。

 

彼の運転はお世辞にもうまいとは言い難いし、いったい何の曲か分からないスカスカな口笛を披露してくれたり、そのおかげで僕の気持ちがだいぶ落ち着き始めた。A-15に到着すると僕は彼に感謝を込めて生涯初のチップを渡し「Thanks!」と言うと「I Love you, Fisherman!」と僕の格好が釣り人に見えたのか、彼はそう答えてくれた。

午後740分、AA2324便に乗って約1時間でタルサ国際空港に到着した。到着後預けた荷物を受け取り空港から出たのが午後9時過ぎだった。タルサの空気を思う存分吸い、僕は両手を高々に揚げて、無事に着いた安堵感と1人でよくここまで来れたという達成感の余韻に浸ったのも束の間、10年前に一緒に来日したロジャーの奥さんであるジャッキーにメールで事前に到着日時も伝えていたので、迎えに来てるのではと思い空港内をうろうろ彼女を探すのだが、まだ来ておらず教えてもらった電話番号に電話をかけ、とりあえず事の次第を伝えようとした。

 

電話がつながり、受話器から聞こえる懐かしい声に僕は喜びながらもしかし、英語力ゼロの僕の会話に戸惑いながらジャッキーが答えてくれた内容をほとんど理解できない状態で困り果てた挙句、これでは埒が明かないと、本当に申し訳ないがこちらから電話を切ってしまった。

とにかく電話でのやりとりでは通じないと判断、メールで明日の再会場所、時間などを伝えようと、とりあえず今日の宿を確保すべく空港近くのホテルへと向かったのだが、2つあるホテルのうちひとつは満室で、もうひとつはというとクレジットカードの支払いしか受け付けないとのこと。ジャッキーとの再会が今日だと踏んでホテルの予約を躊躇し、今思えば僕があまりに無知で用意を怠った事を悔いたが時すでに遅し、困り果てた僕は空港泊も覚悟で空港に戻った。

 

空港に戻って出入り口回転扉に手をかけようとした瞬間、「Kim?」と路肩に止まってた車越しから女性の声がした。ハッと振り返って車中にいるその女性を見ると、誰あろうジャッキーその人であった。僕はあまりの嬉しさと安堵感で膝から崩れてはすぐ立ち上がりすぐさま車の方に飛び跳ねながら行った。

ジャッキーが住む牧場まで車で1時間、僕らはロジャーとジャッキーが来日した10年前の話に花を咲かせた。ジャッキーは昔と何ら変わらず、屈託のない笑顔を見せては「良くここまで来てくれたわね、本当に感謝してるのよ」と僕に言ってくれた。僕も先ほどのちぐはぐな電話を謝りながら、でも本当に会えて嬉しい、ジェスチャーとiPhoneの翻訳機を使いながら彼女に伝えた。

 

ジャッキーの牧場に着いたのは午後11時を過ぎたあたりだった。牧場内の中央に位置するジャッキーの家は古き良き時代のアメリカを象徴するようなどこか温かみも感じる家で、ここでロジャーとジャッキーは仲睦まじく静かに暮らしていたんだと思うとなんだか胸が熱くなった。玄関を開けると飼っている犬達が飛びかかる勢いで迎えてくれた。みんな人懐こく、特にボボと言う大型犬は終始僕のそばを離れなかった。そうこうしているうちに、ずいぶん夜も更けて来たので、僕はジャッキーに案内された部屋で寝ることした。

 

僕は眠る直前、天国にいるロジャーへ、ジャッキーに会わせてくれたことを感謝しつつ、深い眠りについた。

 


Road To Tulsa Photo Gallery Part1