今朝は6時に目が覚め、牧場内を散歩する。
牧場内にいる三頭の馬、ウィリアム、パトリオット、クレイブ、そしてロバのクィード・サルドリッチに一応挨拶がてら写真を撮らせてもらい、しばらくしてジャッキーから朝食の準備ができたと言われキッチンに行く。そこには古くからの友人で、生前ロジャーとも友人であった、カルフォルニアから来たザックもいた。
「ロジャーが亡くなってから深く悲しんでいる私を励ましてくれたし、私だけではできない牧場の力仕事や芝刈りなんかを手伝ってくれたの。ザックには深く感謝しているのよ」とジャッキーが僕に言った。
3人でゆっくりと朝食を食べながら、ザックのことをいろいろ尋ねてみた。彼の仕事はオンライン・トレードのウェブ・デザイナーで、ディーラーもしているらしいことが分かった。あっ!なるほど、リビングのテーブルに置いてあるパソコンのディスプレイとずっと睨めっこしていたのはそういうことか、と合点がいった。
そして「これは僕のライフワークなんだ」と言って、ブルース・リーとリーの師匠であるイップマンのDVDを嬉しそうに渡してくれて、あとで一緒に見ようと無邪気に言ってくれた。ザックは無類のカンフー映画のファンで、聞けばほとんど毎日欠かさずカンフー映画のDVDを鑑賞しているらしい。このあと僕はタルサ滞在期間中に、10本以上ものカンフー映画を見ることになる…。
朝食を終え、プレゼントとして持ってきた煎茶を2人に入れることになった。普段の僕はあまりお茶を入れたり飲んだりしないもんで上手くいくかどうか不安だったが、2人とも凄く喜んで飲んでくれ、煎茶と一緒に持ってきた急須と湯呑セットも嬉しそうに眺めてるの見てるとこちらも嬉しくなり、プレゼントの選択は間違ってなかったんだな、と正直ホッとした。
「私たちは日本が大好きなの」
お茶を飲みながら2人は言う。ザックが仕事中のパソコンのディスプレイをロサンゼルスにあるリトルトーキョーに変え、いろいろ画像を見ながら3人でわいわい日本のことで話が盛り上がった。そしてジャッキーは「ぜひまた日本に行きたいわ」と言っていた。
ジャッキーが僕に手招きしてロジャーが眠る墓に案内してくれたのは、朝の爽やかな風と日中の猛暑を予感させるような熱風が入り混じる午前10時過ぎのことだった。
家のそばにある高さ10メートルほどの木の下に、"和平"と彫られた石が中央に、そして両端にロウソク、向かって右斜め上に花が添えられ、そのすぐ下にコヨーテの置き物が置いてあった。僕はそこにロジャーと一緒に撮った写真をお供えとして置かせてもらった。
2003年、ロジャーとのジャパン・ツアー。僕たちはまだ20代だった。
見た瞬間、本当に目頭が熱くなった。
今回、僕の旅の目的であったロジャーの墓参り。世間一般でいうところの墓ではないが、墓はいらないからこの牧場に散骨してくれ、とロジャーがきっと頼んだのだろう。それはとても彼らしく質素で、ジャッキーのロジャーに対する愛情がひしひしと伝わって、なんだか愛おしく思える素晴らしい墓だと思った。
「彼は平和をこよなく愛し、本当に日本のことが大好きだったわ。彼の意志を汲んでその石に漢字で"PEACE"と彫ったの」と、彼女はゆっくり、そしてとてもわかりやすく言ってくれた。そばに置いてあるコヨーテの置き物は、コヨーテがネイティブ・アメリカンの間で歌の神と崇められている動物で、ロジャーが大好きだったことも僕に話してくれた。
昼のタルサの熱い日差しの中、ジャッキーと一緒にこの近辺をドライブすることになった。このタルサ・サウスルイス地区は主に畜産、酪農を生業とする人達が多く住み、壮大な牧草地を有する牧場がそこかしこに点在する地域だった。
ジャッキーに渡そうと持ってきたラリーパパのシングル「風の丘」を車で聞きながら、長閑な牧草地を走っているとジャッキーがこう言った。
「何もないところでごめんね」
「そんなことないさ。すごく綺麗で良いところだよ」
「彼もこの地域をすごく愛していたわ」
この広大な牧草地がロジャーそのものに見えて、彼に会えたような気持ちになった。何もないどころか、僕には本当に大切なひとつの事柄で、それだけで満たされた気分になった。
風鳴る丘で
仰向けざまに寝転んで
見上げる
流れる雲は
西日を浴びて
黄金色の旅団
昔は
風が運ぶ言葉に
小さな耳をそばだてて
見知らぬ国の
英雄の話
止まったままの時間
過ぎ去った時間を追うのは
もうやめよう
手を振る君が「サヨナラ…」と
風の呼ぶ方へ…
高く… 高く…
君が思い描いた未来を
僕は生きているだろうか
答えを紡いだ歌をうたおう
今 風に乗せて
届け 君の元へ
時間を越えて
ルルル…
-ラリーパパ&カーネギーママ「風の丘」