―日本に魅了された若かりしロジャー・ティリソン

 

ロジャー・ティリソンは1941年10月18日、アメリカ・オクラホマ州ダンカン生まれ。祖母がチェロキー族だったということで、インディアンの血が流れている。17歳で兵役に就き、3年間軍隊で過ごした。韓国駐留時に日本に何度か立ち寄ったことがあり、銀座や江ノ島に遊びに行ったそうだ。そして日本の美術、音楽の美しさに感銘を受けたという。軍隊では、軍楽隊に所属、担当楽器はトランペット。この頃のアイドルは、マイルス・デイヴィスや同郷のチェット・ベイカーだった。

 

テキサスのフォートワース基地では、5人編成のジャズ・コンボにも加わり、オースティンのクラブやラウンジでカクテル・ミュージックを演奏していた。除隊後はロサンゼルス、ハリウッドのアートスクールに入学したが、2年でドロップアウト。折からのフォーク・ミュージック・ブームに触発され、オンボロ車にギターを積んで、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジやセント・ルイス、故郷オクラホマの各地を回り、フォークを歌う。これが1963年頃のこと。

 

 

―サイケの時代を駆け抜けた男女ユニット

 

オクラホマのロートンで、ジミー・マーカム(ジュニア・マーカム)のR&Bバンドに加わり、再びトランペットを吹いていたが、シンガーそしてソングライターとしてのロジャーの才能を見抜いたジミー・マーカムの推薦を受け、当時ロサンゼルスでプロデューサー、スタジオ・ミュージシャンとして活躍していた同郷の出世頭レオン・ラッセルのオーディションを受けることになった。ロジャーと当時のガールフレンド、テリー・ニューカーク(美女!)のふたりを気に入ったレオンの口添えで、リバティ・レコードのワールド・パシフィック・レコードとの契約に至る。

 

ジプシー・トリップスの名前で1965年11月、レコード・デビューを果たす。曲はロジャーのオリジナル曲「ロックンロール・ジプシーズ」。プロデューサーはレオン・ラッセルで、レコーディングにはレオン・ラッセル以下、J.J.ケール、チャック・ブラックウェル、カール・レイドルらオクラホマ出身のミュージシャンが参加している。

 

このデビュー・シングルは残念ながら不発に終わったが、その後ラリー・マーレイ、バーニー・レドンらがメンバーだったハーツ&フラワーズ、ロバート・パーマー、エルキー・ブルックスのヴィネガー・ジョー、さらにジェシ・デイヴィスらに歌い継がれ、ロジャーのソングライターとしての評価を高めることになった。


 

―ソングライターとしての才能が開花 

 

ジャック・ニッチェがアレンジした2枚目「プライセズ・ハイ」も不発、スナッフ・ギャレットの発案でレザーコーテッド・マインズ名義の企画アルバム『ア・トリップ・ダウン・ザ・サンセット・ストリップ』もリリースしたが、これもヒットすることはなかった。ミュージシャン・クレジットはないが、ロジャーによると、J..J.ケールのほか、レオン・ラッセル、ジェシ・デイヴィス、ゲイリー・ギルモア、ジミー・マーカム、ゲイリー・サンダース、ジミー・カースタインらが演奏しているという。

 

内容は当時ヒットしていたザ・バーズの「霧の8マイル」、ドノヴァンの「サンシャイン・スーパーマン」、アソシエイションの「アロング・カムズ・マリー」などのサイケ・カバーと、J.J.ケールのサイケなオリジナル・インストの曲間をサンセット通りの騒音などのSEで繋いだもの。この頃レオン・ラッセルと書いた「ペイント・ミー・ア・ピクチャー」がゲイリー・ルイス&ザ・プレイボーイズによって、全米15位のヒットを記録。彼らに曲を書くきっかけをロジャー本人がこう語っている。

 

あるとき、レオン・ラッセルが"ハーマンズ・ハーミッツに曲を書かないか?"と言うからレオンと一緒にソング・デモを作って、イギリスに送ったんだ。でも数カ月経っても音沙汰がなかった。ある日、ゲイリー・ルイスが私の家に遊びに来ていたときに"ロジャー、僕らのために曲を書いてくれない?"って言い出したんで、"ハーマンズ・ハーミッツ用に書いた曲ならあるけど…" と言って彼にテープをあげたんだ。それでゲイリーは、プロデューサーのところに行って"これが僕らのニュー・シングルだよ"って、テープを渡したってわけさ。

(レコード・コレクターズ2003年5月号『ロジャー・ティリソン・インタビュー』より)

 

ほかにもボビー・ヴィー、パット・ブーン、フロイド・クレイマー、ビリー・ヴォーン、キングスメン、ソウル・サヴァイヴァーズ(ランディ・マイズナーのプアーの前身)らがロジャーの作品をレコーディングしている。J.J.ケールとふたりでモンキーズの曲を書くという話もあったが、ボイス&ハートに持っていかれてしまう。ジプシー・トリップス/レザーコーテッド・マインズと続いたテリー・ニューカークとのコンビも思うような成果を得ることなく、解消。テリーはその後、スティーヴ・ヤングと結婚し、シェリル・ヤングの名で「ホラー・イン・ザ・スワンプ」を共作。単独でもカントリー・ガゼットの「マイ・オクラホマ」(73年)やクリスタル・ゲイルの「カム・ホーム・ダディ」(76年)を書いている。現在は尼僧になっているそうだ。

 

激動の60年代アメリカ、サマー・オブ・ラヴの時代を駆け抜けたロジャーは西から東へ。ウッドストックへ向かう。

 

 

(第2章「LAからウッドストックへ。伝説のアルバムが誕生」へ続く)

 

 

 

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GYPSY TRIPS − Rock'n Roll Gypsies (7inch)

World Pacific ● 77809 [1965]

<Side-A>

 Rock'n Roll Gypsies(Roger Tillison)

 

<Side-B>

 Ain't It Hard(Roger Tillison - Terrye Tillison)


 

---Credits---

Vocals : Roger Tillison, Terrye Tillison

Guitar - J.J. Cale

Bass Guitar - Carl Radle

Drums - Chuck Blackwell

Keyboards - Leon Russell

Produced and Arranged by Leon Russell



THE LEATHERCORTED MINDS − A Trip Down The Sunset Strip

Viva ● V-36003 [1967]

<Side-A>

A1  Eight Miles High(G.Clark - J.McGuinn - D.Crosby)

A2  Sunset And Clark(John J.Cale)

A3  Psychotic Reaction(Ellner - Chaney - Atkinson - Byrne - Michalski)

A4  Over Under Sideways Down(Dreja, Relf, Beck, McCarty, Samwell - Smith)

A5  Sunshine Superman(Donovan)

A6  Non-Stop(John J.Cale)

 

<Side-B>

B1  Arriba(John J.Cale)

B2  Kicks(B.Mann - C.Weil)

B3  Mr. Tambourine Man(B.Dylan)

B4  Puff (The Magic Dragon)(Yarrow - Lipton)

B5  Along Comes Mary(T.Almar)

B6  Pot Luck(John J.Cale)

 

 

---Credits---

Guitar - J.J. Cale

Drums - Jimmy Karstein

Keyboards - Leon Russell

Arranged by Bill Boatman, J.J. Cale

Produced by J.J. Cale, Snuff Garrett